齊藤未月も頑張れ!「靭帯損傷から世界最高レベルに復活した9選手」

先週末に行われたヴィッセル神戸対柏レイソルの試合で、齊藤未月がなんと左膝関節脱臼、左膝複合靱帯損傷(前十字靭帯断裂、外側側副靭帯断裂、大腿二頭筋腱付着部断裂、膝窩筋腱損傷、内側側副靭帯損傷、後十字靭帯損傷)、内外側半月板損傷という凄まじい怪我を負った。

全治1年に渡るという深刻なものであるが、齊藤未月自身はすぐに「必ず復活します。どれだけ時間がかかっても。変えれないことを変えようとするのではなく、変わっていくことに目を向けて強くなります。」とポストし、リハビリへの意欲を語っていた。

今回は『Squawka』から「靭帯損傷を経て世界最高レベルの能力を手にした9名の選手」をご紹介する。

ラダメル・ファルカオ

前十字靭帯の損傷を3度も経験しているラダメル・ファルカオ。2005年11月にリーベル・ブレートでプレーしているとき、サン・ロレンソ戦で右ひざを負傷。さらに数カ月後に復帰しようとしたところで更に症状を悪化させ、10ヶ月も離脱した。

それから立ち直ってポルトとアトレティコ・マドリーで世界最高のストライカーに成長したが、モナコで再び左膝の前十字靭帯を断裂。その後数年に渡ってパフォーマンスが戻らず苦しんだものの、怪我から3年後にようやく復調。

2016-17には29試合で21ゴールを奪取し完全復活、モナコにリーグ優勝をもたらした後トルコとスペインでプレー。37歳になった今も現役を続けている。

アラン・シアラー

あらゆる負傷に苦しめられた名ストライカー。サウサンプトンで大ブレイクした後、当時のイングランドで最も高額な移籍金でブラックバーン・ローヴァーズへ移籍した途端、右膝の前十字靭帯を断裂してしまった。

ところが次のシーズンに復帰するといきなり40試合で31ゴールを奪取。目覚ましい回復を見せてイングランド・プレミアリーグを優勝し、年間最優秀選手賞を受賞した。

そして数年後にもニューカッスル・ユナイテッドでプレー中に足首の靭帯を損傷したが復活し、最終的にキャリア通算260ゴールを決めた。

アレッサンドロ・デル・ピエロ

ラダメル・ファルカオと同様に、アレッサンドロ・デル・ピエロも1998年にその前十字靭帯を断裂する怪我を負った。世界最高のアタッカーの一人に数えられていた絶頂期にだ。

その前のシーズンにデル・ピエロは公式戦47試合で32ゴールを決め、ユヴェントスのセリエA優勝とチャンピオンズリーグ準優勝に貢献したが、それによって長くピッチから離れることになった。

復帰した彼はかつてのスピードを取り戻すことはなかったが、やや下がったポジションの役割に適応してさらに13シーズンをユヴェントスで過ごした。

ルート・ファン・ニステルローイ

1999-2000シーズンにPSVアイントホーフェンで23試合29ゴールという驚異的な成績を収めたルート・ファン・ニステルローイ。クラブ記録となる1850万ポンドでマンチェスター・ユナイテッドへの移籍が決まるところだった。

しかし移籍が決まる数日前、彼は右膝の前十字靭帯を断裂する怪我をしてしまい、その取引は撤回されてしまった。彼はおよそ1年間に渡って戦列を離れたものの、アレックス・ファーガソンは改めて1900万ポンドを投じて獲得に動いた。

そしてマンチェスター・ユナイテッドで219試合に出場して150ゴールを奪い、さらにレアル・マドリーやハンブルガーSV、マラガでも成功を収めた。

ロベルト・バッジョ

同世代で最も優れた選手の一人であり、そのアイコニックなポニーテールの髪型、そしてアイデアに溢れるファンタジックなプレーでファンに愛された。しかしそのキャリアは脆い膝との戦いでもあった。

ヴィチェンツァでプレーしていた若い頃に右膝の前十字靭帯を断裂し、さらに半月板も損傷した。それはあまりにも深刻なものだったが、それを克服してフィオレンティーナへと移籍。その1年後には再び靭帯損傷を経験した。

それも含めて何度も膝の靭帯を痛めてきたが、ユヴェントスやミラン、インテルなどビッグクラブで活躍を見せ、イタリア代表でも56試合に出場した。

ロイ・キーン

10年以上に渡ってマンチェスター・ユナイテッドの中盤で中心選手となったロイ・キーン。溢れんばかりの闘争心とリーダーシップを備えた彼であるが、1997-98シーズンのほぼ全期間を前十字靭帯断裂によって逃している。

彼はリーズ・ユナイテッドでプレーしていたアーリング・ハーランドの父親アルフ・インゲにタックルしようとして負傷し、両者の間には激しい確執が生まれることになった。

復帰後の彼は以前と同じようなボックス・トゥ・ボックスの選手ではなくなったが、そのリーダーシップによって精神的な支柱としてマンチェスター・ユナイテッドで影響力を発揮した。

チャビ・エルナンデス

かつてバルセロナで最多出場記録を達成したチャビ・エルナンデス。リオネル・メッシに抜かれるまでその数字を維持していた彼であるが、2006年には前十字靭帯を断裂する怪我を経験した。

2005-06シーズンのビジャレアルで、後にチームメイトとなるエジミウソンとの接触によって負傷し、4ヶ月の離脱を経験。しかし予想よりもかなり早く回復を見せ、2006年のワールドカップにも出場した。

そしてそれからはクラブの伝説として長く活躍を続け、黄金期のバルセロナに数多くのビッグタイトルをもたらした。

フランチェスコ・トッティ

2007-08シーズンが終わりに近づいたころ、ローマのキャプテンであったフランチェスコ・トッティはリヴォルノ戦で故障。前十字靭帯を部分的に断裂する怪我を負い、シーズンを終えることになった。

4ヶ月ほどの離脱を余儀なくされたものの、彼は予想よりも早く回復を見せて次のシーズン開幕に合わせて復帰。それから2016-17シーズンに40歳を迎えるまでプレーを続け、ローマのレジェンドとして現役引退した。

ロベール・ピレス

2001-02シーズンのプレミアリーグを制覇したアーセナル。ティエリ・アンリやデニス・ベルカンプ、パトリック・ヴィエラなど多くのスターがいたが、その中でも左サイドからゴールを量産したロベール・ピレスの存在は大きかった。

3月に前十字靭帯を部分断裂してシーズンを終えることになったにもかかわらず、彼はライターが選ぶ最優秀選手賞の部門賞を獲得することができた。そして復活後も目覚ましい活躍をし、伝説の無敗優勝の立役者になった。

【関連記事】怪我や病気で不運な引退。ピッチを離れた6名のスター選手たち

7ヶ月の離脱を余儀なくされた彼はこれによって彼は2002年のワールドカップに出場することができず、ジダンまで怪我を負ったフランスはグループステージで敗退している。

© 株式会社ファッションニュース通信社