モンゴル代表でのジャイアントキリング、克服した病…間瀬秀一監督インタビュー

異色のキャリアを歩みながらJリーグ、ナショナルチームを率いた監督がいる。

現在東海社会人1部wyvernの指揮を執る間瀬秀一監督は、現役選手時代は数々の国を渡り歩いて豊富な経験を積んできた。

後にイビチャ・オシム監督の通訳としてジェフユナイテッド市原・千葉に初のタイトル獲得に貢献し、監督としてはブラウブリッツ秋田、愛媛FC、モンゴル代表を率いた。

インタビュー連載企画として間瀬監督のキャリアを振り返る。第5弾はモンゴル代表監督に就任した経緯と経験、自身を襲った病についてのエピソードを語った。

――2021年にモンゴル代表監督に就任されました。振り返っていかがでしたか。

モンゴル代表監督をやらせていただいて、ワールドカップ1次予選を戦いました。モンゴル代表としてFIFAランク96位(2021年当時)のキルギスタンに1-0で勝利しました。それがアジアカップの予選とリンクしているので、モンゴルが史上初めてアジアカップの3次予選に進出したんですよ。

その出来事が僕の中ではすごく大きかった。モンゴル人はエネルギーがあってね。みんな相撲で横綱になるじゃないですか。だからポテンシャルがあった。国としてのサッカー(のレベル)を上げていく意欲がある。でもそのノウハウが欠けているような部分がありました。

1日5試合も生観戦

――モンゴルは首都ウランバートルの開発が進んでいるとはいえ、ピッチの大半が人工芝と聞きます。冬は極寒ですし、サッカーに適した環境ではありません。実際に現場を見て、大変だった経験はありましたか。

大変でしたけど、(モンゴルは)サッカーグラウンドが少ないんですよね。トップリーグのモンゴル・(ナショナル)プレミアリーグは、全部1ヶ所で行われるんですよ。日本語でいうと、モンゴル協会スタジアム(MFFフットボールセンター)というんですかね。

逆にいえば、そこで全試合が行われるので代表監督としては、そこにいれば全選手を視察できるんですよ。だから1番多いときは1日で5試合視察したことがあった。90分の大人のプロの試合を1日で5試合全部を生で見るんですよ(笑)。そういう経験もさせてもらえました。

ウランバートルのサッカー場でトレーニングするU-23タイ代表

――それは大変でしたね…。

でも環境的にはいますごく進化していて、サッカーグラウンドも僕がいたときより1、2個増えているんじゃないですか。あと、僕自身がGPSを導入させてもらったりとか。

地道な努力でジャイキリ達成

――GPSだとカタパルト(オーストラリアに本拠地があるサッカー選手装着用GPSメーカー)が有名ですよね。

(みんな)カタパルトっていうじゃないですか(笑)。カタパルトはサッカーのGPSデバイスだと、恐らく平均的なものだと思うんですよ。もちろんカタパルトの上位機種は細かいデータを取れるものもあるんですけど。

僕は質が高いものをモンゴル代表に残したいと思っていました。イタリア代表や(フランス1部)PSGが使っているGPエグゼというメーカーがあるんですけど、それと同じものをモンゴル代表に導入したんですよね。

――強豪チームが使用するテクノロジーを使って強化を進めたわけですね。

ただワールドカップ予選を戦うときは、コロナでモンゴルに行けてないんですよ。なのでオンラインでキャンプをやって、オンラインでミーティングして…。

その中でワールドカップ予選の試合が偶然日本でセントラル開催になった。モンゴル代表が大阪に来て、3日間一緒に練習してキルギスに勝ったんですよ。

――モンゴルがキルギスを倒したことは事件ですよね。

日本人はこの出来事をほぼ誰も知らないです(苦笑)。アジアサッカー連盟がこの出来事や僕を取り上げてくれたんですよ。「FIFAランク約100位上のチームに(モンゴルが)勝った」と取り上げてもらったんですよね。それがすごくうれしかったです。

病で退任も現在は完全復活

――ただその後、緑内障を患って監督を退任に…。

まず、両目の病気でモンゴル代表監督を退任して(日本に)戻ってきました。日本の高い医療技術で手術を受けて、いま自分の両目は生活、監督をするにも全く支障がない状態になっています。

――いつごろ手術されたのですか。

退任する前ですよ。U-23モンゴル代表監督も兼任でやっていました。そのアジアカップ予選大会の前に病気が見つかって、帰国せざるを得なくなりました。でも帰国してオンラインでアジアカップの指揮を執ったんですよ。大会が終わった後に手術しました。

ウランバートルのスタジアムで試合をしたU-23モンゴル代表選手たち

――緑内障だと失明のリスクもありますから大変でしたね。

緑内障は視界が狭くなる病気なんですよ。放っておいたらどんどん視界が狭くなるんですよね。緑内障の手術は「視界が狭まるのを止める手術」なので(視界の狭まりが)止まったっていうことです。なので、いまは生活にも指導にも全く問題がないです。

――モンゴル代表監督退任後はどのようなキャリアを歩みましたか。

モンゴル代表を退任してから、中国、タイ、台湾のクラブといくつかつながりを持てました。オファーをいただけたりもしたんですよ。ただタイミングの問題で行けなかったりもしたんですけどね。

いま私は(東海社会人リーグ1部)wyvern(ワイヴァン)に所属させていただいています。今年はwyvernが東海リーグを勝ち抜いてJFL昇格を果たす年なので、いまは全力でそれに向かっています。その先にwyvernで続けるのか、またプロクラブの現場でやるのかというのは、まだまだ先は決まっていないです。

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次回はwyvernでの挑戦、キャリアの目標を熱く語っていただいた。

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