<社説>激戦地の岩石搬出 優先すべきは遺骨収集だ

 戦争犠牲者を悼み、平和を希求するという「沖縄のこころ」に照らして妥当な決定なのか。遺骨収集を戦後沖縄の出発点とした県民の思いにも今一度立ち返ってほしい。 糸満市米須の鉱山開発に向け、採石業者が提出した農地転用の許可申請について、県は近く許可する方針を決めた。許可された場合、鉱山から琉球石灰岩を搬出できるようになるが、沖縄戦犠牲者の遺骨が混じる可能性がある。

 しかも、その土砂が辺野古新基地建設に用いられる恐れがある。政府は新基地建設に用いる埋め立て土砂の採取予定地に本島南部を加える計画だ。市民団体はこの動きに強く反発してきた。

 許可申請への対応について県は「諸条件が整った」と説明している。法的あるいは手続き上、不備はないという判断であろう。しかし、米須をはじめ本島南部一帯での激戦で家族らを失った県民は複雑な思いを抱いているはずだ。

 玉城デニー知事は「遺骨が混じるかもしれない土砂が使われることに、大きな懸念を持っている。引き続き業者に協力を求めていく」と述べた。このような対応で沖縄戦遺族を含む県民の理解は得られるだろうか。今優先すべきは遺骨収集である。

 苛烈な地上戦を体験した沖縄にとって米須は象徴的な地である。

 敗戦後、いち早く遺骨収集を始めたのは米須に集まっていた旧真和志村民であった。1946年2月、村民は散乱していた遺骨を拾い集めて「魂魄の塔」を建てた。「真和志市誌」(56年刊)は「死者を弔う意味と、霊魂と共に生きゆく決意」の下に遺骨収集が実施されたと記している。

 近くには「シーガーアブ」と呼ばれる自然壕がある。風葬墓として使われ、沖縄戦では日本兵や住民が避難壕として利用した。県教育委員会が98年度から2000年度にかけて実施した「戦争遣跡詳細分布調査」の報告書は、この壕を「戦争遺跡」の一つに数えている。

 この地は78年前の沖縄戦の記憶をとどめる地であり、今なお遺骨が埋もれている可能性がある地なのだ。土砂を運び出し、新基地建設に用いることなど到底許されない。

 岸田文雄首相は今月15日の全国戦没者追悼式における式辞で「国の責務として、ご遺骨の収集を集中的に実施し、一日も早くふるさとにお迎えできるよう、全力を尽くす」と述べた。改正戦没者遺骨収集推進法が6月に国会で可決され、政府は7月、遺骨収集計画を閣議決定している。

 政府は岸田首相の式辞や遺骨収集計画に基づき、米須など本島南部の激戦地の調査や遺骨収集を実施すべきだ。

 県も21年6月の沖縄全戦没者追悼式で玉城知事が発した「平和宣言」において、「国の責任で一日も早い遺骨収集」を実施するよう求めた。県はそのことを忘れてはならない。

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