「万一」の欠落

 8世紀の史書「続日本紀」に「万一、変あれば…」という記述があるらしい。「万一」という言葉の歴史は千年を軽く超える▲もしかしたら、ひょっとして…と先行きを案じる心が「万一」にはあるが、福島第1原発の処理水を巡る問題に「万一」の心は見いだせない。もしも漁業者の理解を得られなかったら…と、政府は先を案じていたか▲おととしの春、政府は処理水を海に放出する方針を決めた。漁業者の反対も、放出を始める予定の2年後までに「どうにかなると甘くみていた」と政府関係者は語っているという▲政府は高をくくっていたらしい。本気で漁業者の理解を得ようとすれば、風評被害を防ぐ手をいち早く打ったはずだが、その動きも鈍かった▲福島県の漁業者、柳内(やない)孝之さんの意見がきのうの紙面にある。〈政府も最近になり駆け足で(風評被害を防ぐ)PR活動に努めているが、早くから積極的に行うべきだった〉▲漁業者が反対を貫くという万一の事態を案じ、理解を得るよう身を砕く。この2年間、政府がそんな姿勢で事に当たったとは言い難い▲中国は日本の水産物輸入を全面的に停止したと発表した。柳内さんは、中国の輸入規制にも〈手を打てなかったのか〉と“無策”を難じる。日本政府は何よりも「万一」の心を取り戻すしかない。(徹)

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