【頓所 理加さん(新潟県女子野球連盟会長、全日本軟式野球連盟理事)】野球がやりたい女子、集まれ!

頓所 理加さん(新潟県女子野球連盟会長、全日本軟式野球連盟理事)

【プロフィール】
頓所 理加(とんしょ りか): 埼玉県出身。結婚を機に新潟に移住。子供の頃から甲子園に憧れ、高校までソフトボール部に所属する。新潟で野球に携わる道に進み、少年野球や高校女子野球部コーチなどを歴任。全日本軟式野球連盟理事、新潟県女子野球連盟会長などを務め、女子野球の普及に奔走している。


ガタチラスタッフ:『新潟人164人目は、「新潟県女子野球連盟会長」兼「全日本軟式野球連盟理事」の頓所理加さんです!幼少期に抱いた野球への憧れが忘れられず、新潟で野球に携わる道へ!頓所さんの野球への想いや女子野球の普及の為のこれまでの苦労、今後の目標をお聞きしました。素敵な笑顔で取材に応じてくださり、ありがとうございました!』

甲子園に憧れて

──頓所さんが野球と関わるきっかけは何だったのですか?

頓所さん:野球を好きになったのは、小学校4年生の時に“甲子園の高校野球”を見たのがきっかけです。ファウルフライに飛び込むキャッチャーの姿があまりにもカッコよくて、「私も野球がやりたい!」と親に言いました(笑)。しかし、当時の埼玉県には、女の子が野球をできる環境がなくて、誰に相談しても「無理でしょ」と言われるばかりでした。仕方なく小・中・高校とずっとソフトボール部でしたが、野球への憧れはずっとありましたね。

──それほど野球が好きだったのですね。

頓所さん:テレビでそのキャッチャーの姿を見た時に、本当に心が動かされて、「これが私のやるスポーツだ!」と思ったほどです(笑)。それだけに、女の子は野球ができないと知った時のショックも大きかったですね…。

──野球を始めるきっかけがあったのですか?

頓所さん:子供が小学校に上がるタイミングで、「このままでいいのかな」と思うようになったんです。実家の母からも「あれだけ野球をやりたいと言っていたのに、このまま子育てだけで終わっていいの?」と言われて、ハッとしたんですよね。「このまま野球を諦めたら後悔するんじゃないか」と思い、「野球選手になりたい」と家族に相談しました。思っていたよりも家族が理解してくれて、私の野球人生がスタートしました。

母のひと言から開けた道

──お母さんの一言がきっかけだったんですね。

頓所さん:母の一言がなかったら、野球をしていなかったと思います。野球を始めてからは家族に優しくなった気もするんです(笑)。好きなことをさせてくれる家族への感謝の想いが増したんですよね。それまではやりたいことを我慢して嫁や母親としての務めを果たしているという気持ちがどこかにあって、鬱屈していたところがあったと思います。

──素敵なご家族ですね!

頓所さん:このようなケースは母親だけでなく、父親にも当てはまって、結婚して子供が出来たら大好きな野球をセーブせざるを得なくなったお父さんもたくさんいらっしゃると思うんですよね。“夫婦がお互いの役割の大変さを経験しつつ”も、それぞれが好きなことを諦めずにやれれば、上手にリセットできるようになると思います。

──初めはコーチ業をされていたんですよね?

頓所さん:「笹山ライオンズ」という少年野球チームでコーチを10年以上務め、その後、開志学園女子野球部でも4年ほど担当しました。土日は毎週練習なので、家族はよく理解してくれたと思います(笑)。開志のコーチを辞めるタイミングで、“女の子たちが野球を続けていける環境づくり”をするために新潟県女子野球連盟を立ち上げることになりました。

──そこから女子野球の普及に尽力されたのですね!

頓所さん:そうですね!並行して、“BBガールズ選抜チーム”を発足したり、現在では“県連女子選抜チーム”の発足にも携わっています。しかし、「野球選手になりたい」という夢を叶えないまま40歳になり、まだ選手になれていないことにようやく気付いたんです (笑)。それから、「ヒロインズ」という女子チームを作りました。野球の試合で初めてキャッチャーとして出場した時は、涙が出ましたよ。あの感動は一生ものです!

──野球がやりたい女性はたくさんいるんですね。

頓所さん:ヒロインズ発足当時も、希望者がたくさん来てくれて、「こんなにも野球がやりたかった女子がいるんだ」と実感しました。県内各地から参加者がいますし、年齢層も幅広いです。60代の方もいらっしゃるんですよ!みなさん好きなことをしているからお若いです(笑)。

性別関係なく野球ができる環境に

──女子の野球チームはヒロインズのみですか?

頓所さん:他にもありますが、全国大会を目指して本格的に活動するチームが多いです。お母さんたちでも参加しやすいチームを作りたかったので、「ヒロインズ」はあえて月2回のみの練習で“草野球チーム”という形にしています。もちろん、「もっと本気でプレーしたい」とチームを移る人もいますよ。私が新潟県女子野球連盟を作った狙いはそこにもあって、県内に同じ女子野球でも「草野球チーム」もあれば、「全国大会を目指すチーム」もあるという様々な選択肢があることを共有したかったんです。

──女子野球の競技人口が増えた実感はありますか?

頓所さん:あります!私が始めた頃は女性の選手もいなければ、チームもありませんでしたからね。今では少子化もあり、男の子の競技人口が減っていますが、女の子は増えています。女子選手が多い少年野球チームもあるくらいで、こんな時代が来るとは想像もつかなかったですね!

──ここまでの環境づくりにはたくさんの苦労があったと思います…。

頓所さん:以前は女性がグラウンドに入ること自体、受け入れ難い空気がありましたし、私も悔しい思いをしたことが何度もあります。だからこそ、男の子も女の子も、みんな気持ちよく野球ができるようにしたいと思う反面、その環境づくりが大変でした。しかし、“新潟は男女を問わず頑張る人を大切にする温かさ”があって、その温かさに助けられてきました。“新潟だからこそ”、ここまで続けてこれたと思います。

──これまでの活動の中で、印象に残るエピソードを教えてください!

頓所さん:小学生の頃から「BBガールズフレンドシップマッチ」に参加してくれていた女の子が、“女子高校野球決勝が甲子園で開催されるようになった最初の年”に選手として出場しました。彼女がバッターボックスに立つ姿をネット配信で見て、本当に感動しましたね。

──野球を続けてくれていることが嬉しいですね…!

頓所さん:後日、久しぶりに会った時に「BBガールズのイベントで野球を頑張っている女の子がいっぱいいるということがモチベーションになって、今まで続けてきました」と言ってくれて、活動を続けてきて良かったと思いましたね。その子の将来の夢が「新潟で女子野球の普及」というのも嬉しかったです!

──最後に、今後の目標を教えてください!

頓所さん:女子野球普及のためにここまでやってきましたが、いつまでも私だけではダメだと思っています。これから引き継いでくれる人が出てきて欲しいですし、いつでも代わるつもりです。 “普及や代表という立ち位置で得られる感動をひとりでも多くの人に共有したい”と思っています。誰もが自由に野球ができるようにしたいので、私も還暦野球に出るくらいまでこれからも頑張ります!(笑)

>>>「新潟県女子野球連盟」のホームページはこちら
>>>「BBガールズ普及委員会ブログ」はこちら

© 株式会社新潟日報メディアネット