15人に1人 生まれつき読み書きが難しい学習障害“ディスレクシア”とは? 「勉強ができない子だと思っていた」

文字がうまく読めない、書けない 「ディスレクシア」とは?

「ディスレクシア」とは、生まれつき文字がうまく書けない、読めない学習障害。実は、日本では人口の7%がディスレクシアだと言われていて、40人クラスでは2~3人いる計算です。実態を取材しました。

愛知県小牧市の小学2年生、海老澤晃平くん(当時7歳)。ブロック遊びが大好きで、ちょっとわんぱくな男の子です。

(海老澤晃平くん)
「図工が好きだけど全部苦手。他に好きなのあるよ、体育と給食の時間」

好きな教科は、図工と体育。他の教科はあまり好きではありません。それにはワケがあります。

国語の教科書を読んでもらうと…

(晃平くん)
「わ・た・し・は・く・じ・ら・こ…」

自分の名前をひらがなで書くと…

(晃平くん)
「まちがえた~」

読み書きが大の苦手だからです。

(母・麻希さん)
「本を読んであげていると、上の子はわかるところを自分も読んでいたが、この子はずっと『読んで』と言う。それも全部今思えばの話で、その時は全然気にしていなかった。字なんて誰でも勝手に書けるようになるものという感覚でいた」

母親の麻希さんが感じていた違和感は小学校に入ってから、より強くなったといいます。

(母・麻希さん)
「宿題がしんどそうだったので、大丈夫かなと」

入学式からしばらく経つと晃平くんは「頭が痛い」「おなかが痛い」と話すようになり、不登校になりました。心療内科や周囲の人に相談しましたが…

(母・麻希さん)
「『まぁ小さいからだって』とか『お母さん考えすぎでしょ』という空気があった」

これは晃平くんの国語のテスト。カタカナや漢字の読み書きは全て空欄です。

(母・麻希さん)
「勉強ができない子だと思っていた。ディスレクシアを知らなかったら、ずっと右往左往していたと思う」

「ディスレクシア」とは、発達性読み書き障害とも言い、知的能力や聞いて理解する力に問題がないにも関わらず、生まれつき文字をうまく書けない、うまく読めない学習障害です。
日本では人口の7%がディスレクシアだと言われていて、40人クラスでは2~3人いる計算です。世界でも、映画監督のスティーブン・スピルバーグさんや俳優のトム・クルーズさんが、ディスレクシアであることを公表しています。

晃平くんは今年、ディスレクシアと医師から診断されました。

(母・麻希さん)
「3つぐらいまぁまぁ複雑な図形があって、それを記憶して書く検査はバッチリできる。なのに、『りんご』を反対から読むと何ですか?と言われた時に、じーっと止まってしまった。この図形を全部覚えていられるのに、りんごの反対はわからないんだって」

晃平くんは、読み慣れたものはスラスラと読めますが、初見の文章になると1文字ずつ追うような読み方に。

(晃平くん)
「さ・い・て・い・る・木・を…う~ん、わかんない」

「ちゃんと大人になれるのかな?」不安だらけの過去

専門家はこう解説します。

(発達性ディスレクシア研究会・宇野彰理事長)
「僕らはまとまりとして読むが、(ディスレクシアの子は)1文字を音に変換するのも、まとまった文字列を音に変換するのも遅い。意味を考える余裕なく、文字を音に変換することにエネルギーを割く」

自分が「ディスレクシア」だと、大人になって気づいた人も多くいます。
南雲明彦さん(当時36歳)。

(南雲明彦さん)
「画数が増えれば増えるほど、漢字としてのイメージがよくわからなくなる」

周りとの違いを感じ始めたのは、晃平くんと同じく小学校に入ってから。誰にも相談できなかったと言います。

(南雲明彦さん)
「読み書きはずっとついてくる。不安の方が強くなった。この先、僕どうなっちゃうんだろう?ちゃんと大人になれるのかな?」

不安から不眠に悩まされ、高校2年生の時に不登校に。うつと診断され、自ら命を絶とうとしたこともありました。

(南雲明彦さん)
「ふがいない。なんでこんな状況になってしまったんだと自分の意志の弱さを責めた。なんとかしなきゃと焦りが強かった。絶望していたのが10代後半だった」

南雲さんが「自分はディスレクシアだ」と知ったのは、21歳の時。学校だけでなく仕事でも困難がつきまとったといいます。

(南雲明彦さん)
「最初の研修でメモをとっていない人は、悪い意味で目をつけられる。やる気は本当にあるんですって話をしても、じゃあメモとれよと言われて…」

職場では「なぜこんな作業ができないんだ」と言われ、落ち込む日々。何度も仕事を変えました。

今は自分の経験を子どもたちに生かしてもらおうと「不登校」や「ディスレクシア」についての講演活動や、本を出版することで生計を立てています。

(南雲明彦さん)
「不自由な部分があるけれど、色んな発見も沢山ある。もとから持っているもので後天的なものでもないが、だったらこの自分で一緒に生きていく。だって、自分の一部ですから」

「1人でもわかってくれる人がいれば生きていける」

小牧市の小学2年生、海老澤晃平くん。

ディスレクシアと診断されて以降、国語は必ず予習をします。

(母・麻希さん)
「知っている本を今授業でやっていると思うだけで、座っていることがそこまで苦痛じゃないし、先生の言っていることが耳で聞いて入ってくると思う」

お母さんが用意したプリントを毎日3枚こなします。母と息子、2人の約束です。

文字を少しでも楽しく覚えようと、家族みんなで案を出し合った手作りのカルタは晃平くんのお気に入りです。

ディスレクシアだとわかってからは、学校側が晃平くんのテストには配慮をしてくれるようになりました。

(母・麻希さん)
「先生に相談したら『書けないんだったら書かなければいいじゃないですか』と。もうすごい…あぁ、良いんだって」

テストの時は先生と口頭でやりとりします。話して答えた後、先生が書いた答えをなぞる形式です。

2年生になった今では、1日も休まず登校できるようになりました。

(晃平くんの姉)
「友達にも『(晃平くんが)ずっと不登校だった』『全然字が書けないんだけど、やっと最近学校に行けるようになった』と普通に話す。それほど重い感じには捉えていない」

晃平くんが生涯かけて目指すのは、安全に生きていくためのひらがな・カタカナ・小学3年生までに習う漢字の習得です。

(母・麻希さん)
「からかわれることは、この先ずっとついて回ると思う。不便もついて回るし。だけど、1人でもわかってくれる人がいれば、最終折れずに生きていける」

(晃平くん)
「(Q将来の夢はあるの?)あるよ、ユーチューバー」

「チャント!」2021年7月放送

© CBCテレビ