<金口木舌>希望を見いだすまでの歳月

 青森県の実業家・笹森儀助が南西諸島を旅したのは130年前の初夏から秋にかけてのこと。6カ月にわたり、離島まで丹念に踏査した記録は「南嶋探験」として発表された

▼村々の風土や人柄を書き記し、人頭税の旧慣が残り重税にあえぐ先島住民など、当時の沖縄の影の部分も切り取った。柳田國男らに影響を与え、南島研究の「導火線」になった

▼「当地習慣ニテ癩(らい)病者ハ戸籍帳ヨリ除クナリ」。笹森が沖縄を訪れた1893年、島中にハンセン病への偏見が渦巻いていた。「南嶋探験」の一節によると、患者は戸籍さえも奪われていた

▼本島北部で、人目を避けるように粗末な小屋で暮らす人々の姿があった。14年後に「らい予防法」が制定され、患者を隔離する政策が始まる。嵐山事件や屋部焼き討ち事件など、差別や偏見が続いた

▼沖縄愛楽園交流会館で、小林くみこさんの銅版画展「俟時」が開かれている。タイトルは「時を待つ」という意味。笹森の時代から今日まで、患者や回復者が希望を求め続けた年月を思わずにおれない。

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