「日本という国を学びたい」オマーン初のドライバー、本業は“ボート旅”【WEC富士の注目株(3)アハマド・アル・ハーティ】

 WEC富士6時間レースを前に、シリーズに参戦している気になるドライバーをご紹介するこのコーナー。ふたりの女性ドライバーを取り上げた後、第3回としてご紹介するのは、LMGTEアマクラスに参戦しているジェントルマンドライバーのアハマド・アル・ハーティ。ORT・バイ・TFの25号車アストンマーティン・バンテージAMRをドライブしている。

 このアル・ハーティ、まずは何と言ってもその出身国が話題のドライバーだ。

「僕はオマーンで最初のレーシングドライバーなんだ。だから、ライセンスNo.1を持っているんだよ(笑)。チーム国籍も初のオマーン。ORTはオマーン・レーシング・チームという意味なんだ」

■オマーンにもカートコースはある

 読者の皆さんは、オマーンがどこにあるか分かるだろうか? 筆者も名前だけ知っている中東の国だが、地図を確認するとアラビア半島の東側の先端、アラブ首長国連邦の隣に位置している。

 最近でこそF1も、バーレーン、アブダビ、サウジアラビア、カタールと中東の国でたくさん開催されているが、なかなかオマーンとモータースポーツのイメージは結びつかない。

 では、1981年生まれのアル・ハーティは、どのようにしてモータースポーツに興味を持ち、レーシングドライバーとしてのキャリアを積んできたのだろう。

「僕はオマーンで育って、子どもの頃からレーシングカートをやったり、F1を見るのが好きだったんだ。カートコースはオマーンにもあって、1988年に初めてカートに乗った。オマーンにはとても美しくて、タフなカートコースがあるんだよ。今も当時と同じ場所にコースがあるんだけど、今ではもっと大きく、より良くなっているね。中東では初めてカートコースを持ったのが、僕らの国じゃないかと思う」

「初めてオマーンでF1のライブ中継を見たのは、1996年。それで、F1に興味を持った。今では、もっとテクノロジーが進化して、いろいろな形でレースを見ることができるけど、当時は唯一見られるのがライブ中継だったんだ。今では、オマーンでも、英語、アラビア語それぞれの解説付きでF1を見られるし、多くの視聴者がいるよ」

 7歳の頃からカートをやっていたというアル・ハーティだが、その後、4輪レースにステップアップするまでには、かなりの時間を要した。デビューは24〜25歳の時だ。

「僕は今42歳なんだけど、初めてレーシングカーに乗ったのは、2006年。最初は楽しみのためで、趣味だったんだ。オマーンにはサーキットがなくて、最初はバーレーンで走っていた。その後、イギリスに移ってレースを続けて、2013年に耐久レースを始めたんだよね」

「そこから次第に速くなって、フォーミュラカーとはまた違う階段を一歩一歩上がってきた。そして今年WECに参戦し、100周年のル・マン24時間にオマーン人として初めて出場した。これは、とても意味のあることだし、僕らの国はモータースポーツの歴史がまだ浅いんだけど、ル・マンのことを母国のみんなに知らせることができて、すごく誇りに思っているよ」

「僕の役目は、F1とは違うタイプのレースをプロモートすること。今、僕が出場していることで、人々がどうやったらWECやル・マンを見られるのか、ダウンロードできるのかと聞いてくるし、みんなが興奮して見守ってくれている。僕は、みんなに対して情報を与えて、レースに対してより知識を持ってもらう教育係みたいなものなんだ」

ル・マン24時間レースのテストデーにサルト・サーキットを周回するORT・バイ・TFの25号車アストンマーティン・バンテージAMR

■「僕の中で最も大切な2戦が、ル・マンと富士」

 アル・ハーティは、イギリスに渡った後、フォーミュラ・ルノーBARCに3年間参戦。その後、ポルシェ・カレラ・カップGB選手権、イギリスGT選手権、ブランパン耐久選手権などを経て、昨年はELMSヨーロピアン・ル・マン・シリーズにフル参戦。そして、今年満を持してWECにステップアップしてきた。そのWECのレースはアル・ハーティにとって、貴重な社交の場でもある。また、ジェントルマンドライバーということで、もちろんビジネスにも忙しいそうだ。

「僕の一家の仕事は、オイルとガス。僕自身は、また別のプロジェクトを担当していて、それは海洋ツーリズムなんだ。ボートを使った旅だね。それにも、多くの時間を注ぎ込んでいる。レースを始めたのも遅い。だから、ドライバーのカテゴリーもブロンズなんだよ」

「でも、このレースに出ることはとてもエキサイティングだ。世界中のいろいろな人に出会えるから。僕は、いつも(同じくTFスポーツがメンテナンスを受け持つ)Dステーション・レーシングとピットをシェアしているんだけど、だからこそ日本を早く訪れたいと願ってやまない。僕にとって、日本に行くのは初めてなんだ。今年のカレンダーを見た時、僕の中で最も大切な2戦が、ル・マンと富士だって思ったんだよね。これは100%間違いない」

 日本への期待を口にしたアル・ハーティ。一体、初めての日本でどのようなことを経験したいのだろうか?

「こんなことを思うのは初めてなんだけど、日本でまず見たいのは、サーキット以外の場所。レースウイークに日本に到着しても、まずサーキットを見たいとは思っていないし、日本の人々や文化を見たい。僕は日本食を愛しているから、そういう場所へ行きたい。僕は日本の文化が大好きなんだ」

「日本とオマーンの絆はとても強くて、100年に渡る関係があるんだよ。今回はこれまで見たり読んだりしてきた日本のことを、実際に体験できるチャンス。中でも、伝統文化を愛するということに関しては、僕にとっても大いに意味がある。僕自身も、とても伝統的な雰囲気の中で育ってきたからね。これは誰もが理解できることではないんだ。だから、日本を感じることは大切。レーシングコースも学びたいけど、日本という国を学びたいと思っているよ」

「レース後に数日滞在するつもりだし、僕のチームメイトはDステーションの人たち。日本をよく知っている人たちがすぐそばにいるっていうのは、とても心強いよ。今、僕と組んでいるドライバーたちも、日本に行って戻ってくると、誰もが『日本は最高』と言っていて、大好きになるんだよ。今回の来日がいい経験になればいいと思っているし、できれば来年も戻ってきたいよね」

マイケル・ディナン、チャーリー・イーストウッドとともに、2023年のル・マン24時間レースでLMGTEアマクラスの2位を得たアル・ハーティ

■将来はオマーンにサーキットを。若手も育ってきている

 そんなアル・ハーティは、オマーンでのライセンスNo.1のドライバーとして、将来母国のモータースポーツ発展にも寄与して行く考えだ。母国では、アル・ハーティに続く若手も次第に育ってきているという。

「将来、できればオマーンにサーキットを建設できればいいね。もし10年前なら、『オマーンはまだサーキットを持つ準備ができていない』と言ったと思う。でも、今2023年になって、その条件は整いつつあるんじゃないかな。オマーン全体にモータースポーツの環境ができ上がってきているし、サーキットがあったら、それもさらに助けになると思う。だけど、より重要なのは、持続可能性があるコースを持つことであり、なぜサーキットを建設しなければならないか、何のために作るのかということだろうね」

「僕には16〜17年に及ぶモータースポーツに対する知識があって、それが僕にとっても母国にとっても助けになっている。僕の仕事、役割は、自分の経験からモータースポーツをプロモートして、助けになることなんだ」

「今、若いオマーン人のドライバーが耐久レースを始めている。彼は、GTオープン、そしてGTワールドチャレンジにも何戦か出ている。また、ステップアップをしてこようとしているもっと若いゴーカーターもいる。ゴーカートからサーキットレースに出ようとすると、まだ少しギャップもあるけど、僕らの国には基金もあるし、とてもレベルが高い環境で練習できるゴーカートコースもある。それが僕らの目指していることで、正しい方法でこのスポーツを発展させるために、安定的なインフラが必要なんだ」

「モータースポーツというのは、とてもトリッキーなスポーツで、もし1回か2回ミスをしただけでもキャリアが終わってしまう。だから、僕ひとりだけではダメで、僕みたいなドライバーが10人は必要だ。それを今、僕らは求めているんだよね」

 今は、世界選手権に出場する唯一のオマーン人ドライバーがアル・ハーティ。しかし、将来的には、もっともっとオマーン人が世界で活躍する日が来るかも知れない。夢はまだまだ始まったばかりだ。

ORT・バイ・TFのアストンマーティン・バンテージAMRをドライブしWECに参戦中のアハマド・アル・ハーティ

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