米人気司会者で俳優が死去、99歳自宅で自然死 長寿番組など携わり数々の賞を受賞 殿堂入りも

米人気司会者で俳優のボブ・バーカーが死去した。99歳だった。

TMZによると、26日の朝、ロサンゼルスの自宅で自然死により亡くなったそうで、ボブの代理人が「史上最高のMCであるボブ・バーカーがこの世を去ったことを、深い悲しみとともにお知らせします」と声明を発表している。

1972年から35年間クイズ番組『ザ・プライス・イズ・ライト』で司会を務めたことで知られるボブ、2019年にハリウッド・ヒルズの自宅で転倒して怪我を負い救急隊員による治療を受けたり、その前年には強い腰痛を覚え1か月間で2度の入院、2017年にも自宅での転倒により頭を打ち病院に搬送されていた。

人気ゲーム番組『トゥルース・オア・コンシクエンシーズ』の司会者を1956年から1975年まで務めたボブは、1967年から20年間、ミス・ユニバース世界大会、ミスUSAの司会を担当、また2007年に引退するまで司会を務めた『ザ・プライス・イズ・ライト』では、デイタイム・エミー賞を19回受賞、1999年には生涯功労賞を受賞した。2004年にはテレビジョン・アカデミーの殿堂入りを果たし、ハリウッドのウォーク・オブ・フェイムにも星が与えられ、CBSテレビシティのスタジオコンプレックスにはボブの名を冠したステージが設置されている。

他にもアニメ『フューチュラマ』、テレビコメディの『ママと恋に落ちるまで』などに本人役で出演し、俳優としても活躍した。

一方でバーカーは複数の女性からハラスメントや不当解雇を訴える訴訟を起こされてもいた。番組のモデルの一人であったダイアン・パーキンソンは、1994年に800万ドル(約117億円)を求めてセクハラでボブを訴えた他(その後訴訟は取り下げ)、もう一人のモデル、ホリー・ホールストロームは1995年、太ったことで解雇されたとしてボブを訴え、和解金を勝ち取っている。

1923年12月12日、ワシントン州ダリントンで生まれ、サウスダコタ州ミッション、ローズバッド・インディアン居留地で育ったボブは、大学在学中に第二次世界大戦の海軍航空士官候補生となり、1945年に高校時代の恋人ドロシー・ジョー・ギデオンと結婚。戦争が終わると学校に戻り、地元のラジオ局で働きながら長いショービジネスのキャリアをスタートさせた。妻のドロシーは1981年に肺がんで亡くなっており、ボブとの36年間の結婚生活で子供を授かることはなかった。

(BANG Media International/よろず~ニュース)

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