「昭和喪失」 ~あと数年も経つと「遺産」となる~ そのような時代を迎える前に 第6章 東京都荒川区西尾久~尾久三業地・阿部定事件~

第6章 東京都荒川区西尾久~尾久三業地・阿部定事件~

宮ノ前は、尾久八幡神社の門前町。1913年に王子電気軌道(都電荒川線の前身)が三ノ輪から飛鳥山下まで開業した。

温泉発掘・三業地、そして、阿部定事件

同時期、地域にある碩運寺がラジウム鉱泉を発掘し、数多くの旅館や料理屋が建てられた。最盛期には300を超える店があったという。そして、1922年に三業地(料理屋、待合、芸者置屋という花街)に指定。尾久の町は、一大温泉リゾートとして発展した。

しかし、その名を有名にしたのは1936年5月、待合「満佐喜」で阿部定が起こした猟奇的な殺人事件である。世の中が二・二六事件で右往左往している時代であった。

枯渇した温泉の今の姿は・・・

戦後、荒川区はこの地に工場誘致を積極的に進めた。地下水の汲み上げによって、温泉は枯渇、リゾートの歴史は終止符を打った。

1934年7月、東京女子医学専門学校尾久病院が開業。その後、東京女子医科大学附属第二病院と改称した病院も2021年12月足立区に移転のため閉院。地域医療の空白地域を回避するため、2023年4月に令和あらかわ病院を新しい病院として誘致した。

しかし、地域の飲食店などは、コロナ禍の影響もあり閉店が目立つようになっている。

歴史に「もし」はないけれど・・・

昔の名残が、小台の割烹「熱海」やあらかわ遊園地である。もし、そのまま温泉が残っていたら、荒川区は23区の中でも有数の観光地になっていたことであろう。

寄稿者 観光情報総合研究所 夢雨/代表

(次ページは尾久三業地の今の姿を)

撮影・取材 2023年7月6日

温泉発掘を行った碩運寺、目の前が待合「満佐喜」のあったところと言われる

コロナ禍で廃業したティールームあんみつ姫、三業地に向かう道すがら

こちらは、営業を続けている、そうざい・ふじた

周辺は新しい住宅がたくさんできているが、今も残る二階建ての木造の建物

裏路地は、車が入ることも難しい八幡堀の暗渠の跡

三業地華やかし時代、お米を配達していたと思われる

この夏で営業を終了するという張り紙が!

最盛期は、数多くのお客さんが足を運んだと思われる

手前の2軒は古きまま、正面には真新しい住宅

少し離れた小台停留所の割烹・熱海、温泉でにぎわった時代の名残

(過去の寄稿については、以下のURLより)

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