親はらからのここち

 この夏の猛暑は「異常」だと、先ごろ気象庁の分科会が見解を示したが、かつて「異常」をしのぐ高温に達したことがある。1923(大正12)年の9月1日から翌日にかけて、東京の気温は46.3度に達した▲地震に伴う火災で、当時の中央気象台にも火の手が迫り、夜半過ぎに温度計がこの値を示したという。公式の記録には採用されなかった▲記録に残らない“幻の炎暑”が発生した関東大震災から、あすで100年になる。歌人の窪田空穂(うつぼ)は、目にした火災の惨状を歌に詠んだ。〈妻も子も死ねり死ねりとひとりごち 火を吐く橋板踏みて男ゆく〉▲燃え盛る「火」によって死者・行方不明者は10万人を超えたが、「水」の被害も小さくない。大地震で起きた津波は、相模湾で数百人の命を奪ったとされる▲炎が迫り、水が襲った惨事は「昔話」ではない。とりわけこの30年、列島のあちらこちらで大地震、水害が立て続けに起き、誰も「災害とは無縁」とは言えなくなった▲関東大震災で被災した与謝野晶子に一首がある。〈誰みても親はらからのここちすれ 地震(ない)をさまりて朝に至れば〉。被災者の誰もが親、はらから(兄弟姉妹)のように思える、と。遠い日の、遠い地の災害を「あすはわが身」と捉え、備える。防災に「親はらからのここち」を携えたい。(徹)

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