ディーン・フジオカ「なぜか映画監督だった…」10年前の日本での最初の仕事を明かす

「サバイバルライフだったんで、今思うと本当に危なっかしかったですね…」と感慨深そうに語ったのは、俳優でミュージシャンのディーン・フジオカ。自身が出演する保険会社の新CM発表会でデビュー当時を振り返り、香港や台北を拠点としていた頃から日本を主軸にするきっかけなどを明かした。

CMのキャッチコピーは“どっちでもOK”。保険を手軽にネットで申し込むのも、プロに相談してじっくり考えるのもどちらのニーズにも応えるという意味が込められている。フジオカは俳優もミュージシャンも“どっちでもOK”ということで、それぞれのデビュー当時を回顧するコーナーが設けられた。

まず、香港で俳優デビューした2004年頃についてフジオカは、「保険なんてないサバイバルライフだったんで、今思うと本当に危なっかしかったですね…。道が整えられていた状態ではなかったので、俳優の仕事が社会との接点を持つきっかけとして成立したのが香港との出会いだった」と、約20年前のいばらの道を思い返していた。

過去の活動について語るディーン・フジオカ

台北とジャカルタを行き来し、楽曲制作も行っていたというフジオカ。ミュージシャンとして2013年に日本デビューした頃も振り返り、「なぜか1番最初に映画監督だったんですよ、日本で1番最初の仕事が。出演もして。お金がないプロジェクトだったので自分が作った(楽曲の)デモがそのまま主題歌になるという。映像の仕事をやることによってシングルデビューみたいな形でリリースできたという経緯ですね」と語った。

役者、音楽、映像、さまざまな分野で才能を開花させたフジオカは、その原動力を聞かれたが、なかなかしっくりくる言葉が見つからない様子。熟慮の末に「う~ん…、欠けてるものを埋める、でも絶対に埋まらないみたいなことなのかな?」と、常に自分にないものを追い求めることが原動力だと答えた。

そして、今後の目標について「やったことないことをやるとか、できないことをやるとか、それが1番自分の成長につながるのかなと思うので。そういえば野外フェスって出たことないので、ミュージシャンとして野外フェスは出てみたいなと思いますね」と笑顔で語った。

FWD生命 新CM『どっちでもOK』篇は9月からTV放映開始。

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