社説:関東大震災100年 流言流布への構え欠かせず

 「見渡すかぎり焼跡である」。当時、京都市内に暮らしていた志賀直哉の一文が残る。

 1923(大正12)年9月1日、関東大震災が発生した。志賀は東京の父を案じ、京都駅から信越線で東京へ向かった。

 マグニチュード(M)7.9の揺れが関東一円を襲い、犠牲者は災害史上最悪の10万5千人に上った。中でも火災による死者は約9万2千人と、死因の大半を占めた。昼食時の発生に加え、強風が延焼を広げた。

 きのうで100年。都市を襲う大地震に備え、京都や滋賀でも改めてハード、ソフト両面で備えを整える契機にしたい。

 関東大震災では、流言飛語によって住民や官憲らが朝鮮人らを多数殺害した。中央防災会議報告書は犠牲者の「1%~数%」と推計している。

 志賀は群馬県などで群衆や官憲が朝鮮人を追い、「殺した」と話すのを耳にする。火の粉舞う東京の姿を記録しながら、志賀は朝鮮人への暴力を「この騒ぎ関西にも伝染されては困る」「避ける事が出来れば幸だ」と、直後に発表した「震災見舞」に記している。

 新聞各紙が流言や誤報を掲載したことに加え、蓄積されていた少数者への偏見が残酷な殺害を生んだ。京都日出新聞も「鮮人暴動説」との臆測記事や、山本権兵衛首相暗殺説といった誤報を重ねている。

 東京と神奈川に戒厳令が敷かれ情報が統制されたことも、市民の混乱に拍車をかけた。

 災害時のメディアには、危険と安全を全体像として正確に速報する責務がある。反省とともに、現代にも共通する課題と肝に銘じたい。

 災害時の流言はSNS(交流サイト)時代も繰り返されている。不安の中でうわさが増幅する。熊本地震では「ライオンが逃げた」との流言が広まった。昨年9月の静岡豪雨では、人工知能(AI)で生成された虚偽の浸水画像が拡散された。

 誰もが発信者になれるSNSが、安否確認や避難所運営で有益なのは東日本大震災で実証されたが、もろ刃の剣でもある。

 デマが許されないのは無論だが、非常時は誰しも流言の拡散に手を貸してしまう恐れがあることを認識せねばなるまい。

 「らしい」と発信するのは容易だが、うわさを打ち消して正確な情報に上書きし、伝えるのは時間を要する。都市災害で流言は必ず起きるとの前提に立ち、平時から対処を考えるべきだろう。

 関東大震災では、避難者が殺到した場所が猛火に巻き込まれた。都市は高層マンションが増え、新たな火災リスクを抱える。2016年には、新潟県糸魚川の市街地で大規模火災が発生した。

 京都市は木造住宅が多い。過去の災害に学んで備え、各人が避難ルートを考えることが冷静な行動につながる。

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