母の死原点、医師目指す 元茨城県常総市職員、穂戸田さん 筑波大再入学

医師を目指し母校の筑波大に入り直した穂戸田勇一さん=つくば市天久保の筑波大

筑波大(茨城県つくば市)を卒業後、地元の茨城県常総市職員を6年間務めた後に再び同大に入り直し、医師を目指す男性がいる。険しい道に挑む穂戸田(ほとた)勇一さん(34)の原点は、がんで失った母親。子どもの頃、入院先から見た花火に励まされた経験を糧に、大学のサークル活動で付属病院患者の子どもたちに花火をプレゼントするため活動するなど、精力的な学生生活を送っている。

穂戸田さんは2009年、常総学院高(同県土浦市)から筑波大理工学群に進学。13年に卒業後、常総市役所に入庁した。

最初の学生時代、山崎煙火製造所(同県つくば市)でアルバイトをして花火師の資格を取得。10年に花火研究会を立ち上げた。大好きだった地元の花火大会。病弱だった幼稚園の頃、病窓から見た夜空の大輪に勇気づけられた思い出は、今も忘れられない。

中学時代には長岡(新潟県)、大曲(秋田県)、土浦の「日本三大花火大会」を直接見に行くほどの〝花火マニア〟になった。

医学の道を後押ししたのは、母親の死と、市職員としての経験だった。

母親の知恵美さんが12年11月、57歳の若さでこの世を去った。卵巣がんだった。いまわの際の母にかけた最後の言葉は「医者になって病気を治すよ」。この時、既に市職員の採用が内定していた。

当初配属されたのは高齢福祉課。介護や医療の分野を担う部署だった。介護認定の関係で年200人近い人たちと会った。母親と同じく、がんに苦しむ境遇の人たちを目の当たりにして、「医療はもっと頑張れる」との思いを強くした。

18年には商工観光課に異動し、念願だった花火大会の担当に。仕事は順調で充実していたが、それでも医師になる気持ちは捨てられなかった。

一念発起し受験勉強を決意。帰宅後、午後10時から午前1~2時ごろまでを勉強時間に充てた。病気の人たちの苦労を思えば、仕事と勉強の両立も苦ではなかった。机の上には母の写真。仏壇に毎日声をかけ、厳しい勉学を乗り切った。

19年、同大医学群に「再入学」。県から奨学金を受ける見返りに卒業後は茨城県内で9年間従事する「地域枠」を選んだ。医師への道を踏み出し、現在は5年生。講義や実習に追われながら、子どもたちのため花火を上げるサークル「つくばけやきっず」の代表として汗を流す。

小児入院患者のための花火打ち上げは今年で11回目。初回は医師の寄付や企業の協賛金に加え、アルバイトしてためた10万円をつぎ込んで実現に至った。20、21の両年はコロナ禍で中止になったものの、自らが立ち上げた花火研と協力し、今年も実現に向けて準備や資金集めを進める。

今年の打ち上げは学園祭のある11月5日、午後8時半からの予定。子どもたちが描いた絵を基にしたデザインの型物花火を60発ほど夜空に放つ。

常総市の実家を離れ、今は大学近くのアパートに暮らす。「病院の子どもたちに花火を見せたい」という夢はかなえることができた。医師として患者に寄り添うという二つ目の夢も、実現に日々近づいている。

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