京アニ裁判、被害者名を匿名にする異例の審理が波紋 「当然の心理」「実名、命あった証し」

京アニ事件の追悼式の祭壇。犠牲者の人数と同じ36本のヒマワリで飾られた(7月18日午後0時9分、京都市伏見区)

 京都アニメーション放火殺人事件の裁判員裁判は、京都地裁が複数の被害者の氏名を伏せる異例の「匿名審理」となる見通しだ。被害者や遺族らの保護が目的とされるが、公開を原則とする法廷の秘匿化への危機感も高まる。3年前には、相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」の入所者19人が殺害された事件の公判で、多数の死傷者が「甲B」「乙A」と記号で呼ばれ、議論を呼んだ。実名か匿名か。「匿名審理」の在り方が問われる。

■2016年の「やまゆり園事件」では

 2016年に発生したやまゆり園事件の犠牲者の氏名は、発生時から非公表となった。裁判でも踏襲される中、20年1月の初公判に合わせて名前を公にした犠牲者が唯一いた。「甲A」とされた美帆さん=当時(19)=だ。「一生懸命、生きていた。その証しを残したい。美帆の名を覚えていて」と母親は実名に転じた思いを手記につづり、娘の顔写真も公開した。

 公判では、喜怒哀楽を豊かに表現した生前の娘の姿や、短時間に終わった最後の面会を悔やむ母親の思いを記した調書が、美帆さんの実名とともに読み上げられた。母親は証言台から「美帆を返して」と訴えた。「美帆が生きていたことを広く知ってもらうことができた。どの被害者にも人生と命があった、と実感してもらえるきっかけになったと思う」と振り返る。

■「進行に全く問題はなかった」

 一方、被害を受けた施設職員の代理人として公判に臨んだ上平加奈子弁護士は「匿名でも公判の進行に全く問題はなかった」と語る。事件で心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症した職員は秘匿が決まり、審理中も落ち着いて過ごせたという。「事件に巻き込まれた被害者が匿名を望むのは極めて当然の心理だ。『公判は実名』との原則がある訳ではない」と強調する。

 京アニ事件の公判でも、個人の特定につながる情報を伏せる「被害者特定事項秘匿制度」に基づき、複数人が匿名で審理されるとみられる。ただ、匿名を望まない遺族もいる。

■日常生活への支障は感じず

 「隠す理由が見当たらない。実名があることで言葉の重みは変わる」。そう話すのは、京アニで要職を務めたアニメーター池田(本名・寺脇)晶子(しょうこ)さん=当時(44)=の夫(50)だ。
 
 同制度は性犯罪のほか、名誉や社会生活の平穏が著しく害される恐れがある事件も対象に含まれる。夫は、仕事に情熱を注いだ晶子さんを知ってほしいと多くの取材に応じてきた。記事やニュースで実名が世間に知れ渡ったが、「僕は日常生活への支障を感じたことはない」と言う。

 

 オウム真理教事件など、数々の裁判を傍聴してきたジャーナリストの江川紹子さん(65)は、京アニ事件の匿名審理化を危ぶむ。犠牲者たちには何の落ち度もなく、クリエーターとして世に名前を出していた。人を裁く法廷は被害者も実名が基本だとして「この事件が匿名なら、原則と例外がひっくり返る」と憂う。

 名前は友人や同僚ら、関係を結ぶ人にとっても大切なもの。そう語り、問いかけた。「実名は亡き人の存在そのもの。本当に隠してもいいのでしょうか」

■「事件を伝える碑」に名前、検討中

 津久井やまゆり園の事件は、公判で匿名審理を終えた今も実名と匿名の間で揺れている。相模原市の同園に設置された鎮魂のモニュメントには、遺族の同意の下、犠牲者の名前が刻まれている。2021年の設置時から3人増え、現在は10人の名前が確認できる。

 ただ、事件から7年となる7月26日に営まれた追悼式では、これまで通り名前は読み上げられなかった。主催者を代表して黒岩祐治・神奈川県知事が犠牲者19人に贈った言葉には、「新年会で和太鼓演奏を楽しんでいたあなた」「風邪をひかないよう気をつけていたあなた」と代名詞が並んだ。

 その光景は、7月18日にあった京アニ第1スタジオ跡(京都市伏見区)での追悼式と重なる。

 祭壇は犠牲者の人数と同じ36本のヒマワリで飾られた。八田英明社長は「一人一人の名前を申し上げることは差し控えた」と、匿名で弔いの言葉を伝えたことを明かした。同社によると、宇治市内に建立予定の「事件を伝える碑」に名前を彫るかどうかは検討事項となっている、という。

鎮魂のモニュメントに刻まれた犠牲者の名前。歳月の経過とともに、その数は増えている(7月12日、相模原市緑区・津久井やまゆり園)

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