横浜で唯一「落花生製造販売」の老舗、70年の歴史に幕 来年までは在庫販売…地元から惜別の声

横浜市中区曙町に店を構え、70年もの間地元の人に愛された「後藤製豆」=8月4日午後、横浜市中区

 戦後まもない時期に創業し、横浜市内唯一の落花生製造販売店として落花生や菓子などを販売していた「後藤製豆」が7月末で70年の歴史に幕を下ろした。来年6月ごろまで営業日を減らして在庫の販売を続ける予定だが、その後の見通しは立っていない。地元住民の間では惜しむ声が絶えない。

 店一番の目玉商品「落花生」は、伯方の塩を溶いた水に約20キロの千葉県八街市から取り寄せた生の落花生を10分漬けて味を染み込ませ、水を切った後に1晩寝かせる。翌日に、専用の機械で約20分ほどいり、ぬくもりが少し残っているくらいまで冷ます。

 冷ました後は、240グラムの落花生と酸化を防ぐための脱酸素剤、湿気を防止するための乾燥剤を袋に詰めて完成だ。生産地にこだわった豆本来の味と、ほどよい塩味が相まって、店一番の逸品として多くの客の心をつかんできた。

 後藤製豆は、現在の店主、鯨井政雄さん(76)の父繁雄さんが1953年に創業した。戦争から生還した繁雄さんが、生計を立てるために始めたのが、当時珍しかったという豆を扱った店だった。2代目として経営を引き継いだ兄が体調を崩し、弟の政雄さんが60歳のころ、3代目として看板を背負うことになった。

 創業当初は、市内の商店街などに約10の落花生製造販売店が並んでいたという。戦後間もない時期、現在よりも安価な国内産の豆を仕入れ、加工し販売していたという。しかし、次第に豆の高騰が進むと、国内産ではなく、安価な輸入豆を主軸にする店が増えていった。時代と共に商店街のにぎわいが失われ始めると、軒並み店は姿を消していったという。そんな中でも市内に唯一残ったのが後藤製豆だった。

 「うちは豆の味で勝負してきた。豆でうんともうけようとかは考えていない。最低限の売り上げがあればよかった」と話すのは、政雄さんと二人三脚で店を切り盛りしてきた妻の智津子さん(75)。

 創業当時と変わらずに国内産の豆を主力として勝負してきた。政雄さんも「良い豆を売れば、お客さんは来てくれる。それを信じてやってきた。それが今日までやってこれた理由のひとつ」とうなずいた。

© 株式会社神奈川新聞社