2年目の夏、「見る阿呆」卒業しました 阿波おどり愛つのらせた新人記者

「藍場浜演舞場」で雨の中、踊りを披露する記者=8月14日(撮影・米津柊哉)

 「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」。徳島県の阿波おどりと言えばこのセリフ。一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。昨年春、新人記者として徳島支局に赴任した私(24)は、8月のお盆期間に阿波おどりを取材し、息の合った踊りや「ぞめき」と呼ばれるおはやし、街の雰囲気、全てに魅了された。そして徳島生活2年目の今年、「見る阿呆」から「踊る阿呆」になった。(共同通信=伊藤美優)

マスクをして練習する記者(右から2人目)=1月17日、徳島市立城西中学校体育館

 ▽日本三大盆踊りの一つ
 400年を超える歴史を持つと言われる阿波おどりは、日本三大盆踊りの一つとされる。毎年8月12~15日の期間中、徳島市には県人口より多い100万人を超える見物客が訪れる。踊り手グループの「連」は県内外にあり、新型コロナウイルス禍前は200を超える連が市内複数の演舞場に繰り出した。

阿波おどり開幕日の8月12日、「藍場浜演舞場」に踊り込む蜂須賀連

 ▽有名連で「女法被」に
 阿波おどりには、主に男踊り、女踊り、鳴り物の三つのパートがある。私が選んだのは、女性が男踊りをする「女法被」。しゃなりしゃなりと踊るよりも、元気よくはつらつとした女法被が自分には似合うと思った。特に優れた技量と知名度がある有名連で、女法被もある「蜂須賀連」の門を叩いた。

7月、本番を控え体育館で練習する蜂須賀連=7月13日午後、徳島市立城西中

 ▽洗礼を受けた初練習
 昨年10月。連のお盆明け初練習から週に2回通った。市立中学校の体育館で1時間半、みっちり踊る。最初の1カ月は足の基本動作だけを繰り返す。鏡の前で膝を曲げ、体を上下させながら、前傾姿勢でリズムに乗って進んでいく。
 膝を外側に開き、前から見たときにひし形になるよう意識する。背中は丸めず、胸も張りすぎず。さらに出した足はつま先を立て…。うーん難しい。「手を上げて、足を運べば阿波おどり」という言葉があるが、絶対うそだ!(泣)と思った初日だった。

蜂須賀連連長の岡本慎治さんは阿波おどり用品店を経営している=8月9日午後、徳島市の「岡忠」

 ▽「コロナ、いけたん?」
 ところで、徳島の代表的な方言に「いける」という言葉がある。「大丈夫」という意味だが、練習初日、久しぶりに会う連員同士「コロナいけたん?」と心配する言葉が飛び交う光景が広がった。昨夏の阿波おどりは、出演者だけで少なくとも800人を超える感染者が発生したとみられる。
 「うちの連も、出演者は最初80人くらいいたのに、最終日には60人くらいまで減っていた」と岡本慎治連長(58)は振り返る。連内の感染は阿波おどり後も続き、最終的に蜂須賀連だけで40人以上が感染した。
 練習は今年5月まで検温、手指消毒をした上、全員マスク着用。練習は真冬でも汗をかき、息が上がる。マスクが息苦しかった。さらに、中学校の体育館は本番前の真夏でも騒音対策で閉め切り。休憩の度に換気をするが、室内はサウナのよう。じっとしていても汗が噴き出した。

蜂須賀連「女法被」リーダーの田中見那美さん(前列中央)=8月12日午後、徳島市の藍場浜演舞場

 ▽リーダーは生粋の踊る阿呆
 練習はパートごとが基本。阿波おどり超初心者の私を指導してくれたのは、女法被のリーダー田中見那美さん(26)。文字通り、手取り足取り教えてもらった。
 2019年の阿波おどりのポスターのモデルにも選ばれた田中さんは、昨年の4月から女法被のリーダーに。コロナ禍で練習に人が集まらず、フォーメーションを組むこともできない。マスクをしながらの練習で意思疎通にも苦労した。
 それでも、田中さんにとって阿波おどりは「なくてはならない存在」だ。「見てるだけじゃ我慢できないよ、踊りたくなっちゃう」

7月に入り、屋外での練習も始まった=7月18日午後、徳島市のあわぎんホール前

 ▽練習は大詰め
 6月に入ると、だんだんと屋外で練習する連が現れ、遠くからぞめきの音が聞こえてくるようになった。私たち蜂須賀連も、週に2回の体育館での練習に加え、7月から屋外の公園などでの練習も追加。練習は週4日と大詰めを迎えた。
 そして8月に入ると、街には赤と黄色のちょうちんが飾り付けられ、桟敷席の組み立ても始まる。いよいよ始まるんだなあとわくわくしてくる。
 練習は、変に覚えてしまったのか、同じところで何度も間違え、意識しなければならない点をいくつも忘れ…とボロボロだ。「このままだと舞台の一部しか踊らせられんかもやけん、頑張って!」という田中さんの叱咤激励を受け気合を入れ直した。

阿波おどり開幕日、複数の連が踊る「総踊り」=8月12日、徳島市の南内町演舞場(撮影・松崎未来)

 ▽いざ、本番!
 仕事のため初日は参加せず、13日、いよいよ本番。日中、屋内ホールの公演からスタートした。緞帳が上がると、ずらりと並んだ50人以上の私たち踊り手を見て、「おお」と会場がどよめいた。目の前の客席には大きなカメラを構えた人や大勢の「見る阿呆」。拍子木の甲高い音と「ヤットサー」のかけ声で舞台が始まった。
 初舞台。案外きちんと踊れたと思い、知人が撮ってくれた写真を見ると、必死な形相の自分が…。振り付けは大きなミスなく決めることができた。
 13日夕方は屋外演舞場のトップバッターだった。左右に作られた桟敷席の真ん中の道を通り抜けながら踊る。満員の客席を見て、高揚感で自然と笑顔になった。午後6時とはいえ、アスファルトの上は灼熱。汗だくで踊りきった。午後9時半、最後の出番を踊る頃には足が棒のようで、腰を低く落とそうにも踏ん張れず、フラフラしてしまった。脚の筋肉や持久力には自信があったのに…。もっと練習しようと誓った。

「南内町演舞場」で踊りを披露する「蜂須賀連」。記者は中央手前から2人目。=8月13日(撮影・米津柊哉)

 ▽愛する「踊り天国」
 演舞場の外では、観客らが輪になって踊り手を囲む「輪踊り」の光景が見られる。観客も輪の中に招かれ「踊る阿呆」になる。うまい・下手、年齢、性別、国籍は関係ない。市街地の至る所で自然発生的に踊りが始まる。期間中の徳島は「踊り天国」と称されるが、これこそがその所以であり、私が阿波おどりを愛する理由だ。

雨の中で行われた屋外公演=14日午後

 ▽台風が…物議を醸した3日目
 14日。関西に台風7号が接近していた。退勤後、集合場所に着くと、大雨の中、演舞場を踊り終えた連員たちのずぶぬれの姿があった。高齢者等避難や暴風警報が発令され、大雨の演舞場は、前日までの満席とは一変、数十人ほどしかいなかったが、残ってくれたからこそ私も続いて踊った。「頑張れー」という声援や拍手がうれしかった。
 「警報が出てもやるのはどうかなと思った。でもこの日のために来てくれたお客さんのためを思うと、複雑な気持ち」と田中さん。祭りを強行した徳島市などで構成される実行委員会の対応は、問題視されている。

台風の影響で中止となった阿波おどりの演舞場=15日

 ▽唐突な夏の終わり
 最終日の15日。踊りが始まる予定だった午後6時前には雨はやんでいたが、既に台風の影響で中止が決まっていた。突然の「夏の終わり」。やるせない気持ちになった。
 県が臨時で県庁前などに設けた踊り広場や公園では、このまま終われない踊る阿呆たちが繰り出し、見る阿呆の輪もできていた。台風が去り、秋の虫が鳴き始める中、名残惜しそうな「ぞめき」だけが徳島の街のあちこちから響いていた。
 コロナ禍や台風でも消えない伝統。4日間に懸ける徳島県人の気概に触れ、私もまた来年の4日間に向け頑張ろうと思った。阿呆たちの一人として、来年の夏を指折り数えている。

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