ヴィッセル神戸への移籍が決まった元スペイン代表フアン・マタ。
ワールドカップ優勝を経験した世界的選手だが、大学でマーケティングとスポーツ科学を学んだこともあるほか、親日派でもある。そんなマタの愛すべきエピソードをまとめてみる。
2011年3月に東日本大震災が起きた後には日本を励ますメッセージをSNSに投稿。
そして、翌2012年には来日している。
「今 僕は日本に来ています。本当に楽しんでいます。いつも この国が好きでした、そして いつか 訪れたいと思っていました。有難う、皆さんのお陰です。忘れません」。
その後、2015年にネパールでマグニチュード7.8の大地震が発生した際には自身のブログにこう綴った。
悲しいことに、今週末はネパールとインドでの悲劇への哀悼で染められた。残念ながら地震が我々のもとにくるのは止まらない。悲しい知らせ以外のなにものでもない。
僕の連帯とサポートを被害にあった人々と亡くなった方々のご遺族に送りたい。
2013年、作家の村上春樹氏のファンとしても知られるマタは、パリに向かう道中で『神の子どもたちはみな踊る』を読んでいた(1995年の阪神・淡路大震災後に書かれた6編の短編集)。
彼は『Tokio Blues(ノルウェイの森)』も好きだそう。
スペインのカミーロ・ホセ・セラ大学でマーケティングとスポーツ科学を学んだというマタは、2013年のインタビューでこんな話をしている。
(あなたの大学の研究とサッカーにおける責任をどうやって結びつけている?)
難しいけど、不可能じゃないよ。僕はマーケティングや広告、新しいテクノロジーといった世界が好きだし、そういったものとサッカーをプレーすることが結びつかない理由はない。
ロンドンに来てからちょっと難しくなったけど、まだINFE(身体活動とスポーツ科学部?)とマーケティングは(スペインの大学で?)籍を入れたままなんだ。
家庭教師とはコンタクトしてるけど、お互いが都合のいい時間をみつけようとするのは難しい。今現在の僕の人生で一番大切なのはサッカーだけど、学位を取りたいを思ってる。急いでもいないけど、諦めてもいないよ。
なんでも銀行でマーケティングを担当している叔父がいたそう。
2016年、マンチェスター・ユナイテッド時代のマタは、FAカップ5回戦で3部シュルーズベリー・タウンと対戦。
怪我人が続出するなかでもしっかり好パフォーマンスを披露したが、試合前にもグッドガイであるところを見せた。
ウォーミングアップからロッカーに戻るユナイテッドの選手たちが2人のキッズたちとハイタッチしていたのだが、マタは彼らのためにわざわざ戻って来たのだ。
2016年10月にオールド・トラッフォードでストークと対戦した際には、車いすの少年への神対応が話題に。
チームバスに乗り込もうとするマタは、車椅子に乗った少年の元に向かうと写真撮影に応じていた。
この少年は同年5月のノリッジ戦で交流していた子だったようだ。
2017年にマタは「全サッカー選手は給与1%を寄付すべき」というCommon Goal運動を主導し、香川真司らが賛同した。
全てのサッカー選手が給与の一部を寄付することが当たり前になることを望み、最終的な目標はサッカーが生み出す全ての物の1%が慈善基金に寄付されるようになることだった。
なお、マタ自身はすでに給与の1%を慈善基金に寄付していたそう。
そして、同年のレスター戦でゴールを決めるとこんなポーズも披露。
お辞儀のようにも見えるが、そのワケを本人が教えてくれていた。
「僕らとともにCommon Goalに取り組んでいる『OSCAR財団』の子供たちがオールド・トラッフォードに来てくれた時、このセレブレーションをお願いされていたんだ。
1点目の後にやらなかったのは、まだ(勝ち越しの)ゴールが必要だったからさ。
2点目の時に彼らのことを思った。あのゴールをムンバイにいる子供たちに捧げたんだ」
インドの子供たちからお願いされていたものだそう。
2018年にはユナイテッドでの仰天秘話を『The Sun』が伝えた。
当時のマタは週給14万ポンド(2500万円)ほどを稼いでいたが、なんとアウェイゲームの試合後に用具係を手助けしていたというのだ。
クラブ関係者
「フアンはスペシャルな男。この数か月ほど、彼は用具係とスタッフたちを手伝い始めたんだ。
彼がどんな人間かということが集約されているよ。
アウェイゲームの後、チームメイトたちは派手な車に飛び乗ったり、あっという間に去って行く。
その一方、フアンは残ることを引き受け、一般スタッフに手を差し伸べている。
全ての用具を上げ下すのは大仕事で時間もかかる。
人々はなんて素晴らしい行為なんだと言っているけれど、正直なところ、これは彼を象徴するものだ。
彼はサッカー界で最も素敵な男だと言わなきゃならないよ!」
試合後、汚れたユニフォームやスパイクをチームバスから降ろすのを手伝っていたとか。また、洗濯までやっていたとも…。
2019-20シーズンのELで、ユナイテッドはコペンハーゲンを延長戦の末に1-0で下して準決勝に進出。
だが、GKカール=ヨハン・ヨンソンに大いに苦しめられた。30歳の守護神は延長戦を含めて13度ものセーブを記録。
90分から途中出場したマタもヨンソンに苦しめられたが、120分間の死闘を終えた後にこんな労りを見せていた。
君はすごかった!という素敵な笑顔で相手を讃えていたのだ。
また、マタはユナイテッドを切り裂いた相手FWラスムス・ファルクに対しても「フォルク、君はよくやったよ!素晴らしい試合をしたね」と讃えるビデオメッセージを送っている。
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そんなマタが神戸で背負う背番号は64番。
これは昨シーズンプレーしたガラタサライでもつけた番号だ。
『AS』によれば、「昨年(2021年)、母が亡くなった。64歳だった。ずっと一緒だと感じたかったんだ。父が生まれたのも1964年。だから、64番を選んだ」と理由を説明していたそう。
愛すべき人格者で家族思いでもあるマタがJリーグでどんなプレーを見せてくれるのか楽しみだ。