離婚後に父親が激変、暴言は「日常茶飯事過ぎて覚えていない」 青葉被告の半生ヒストリー【小学生編】

ストレッチャーに乗せられた青葉容疑者(2020年5月、京都市伏見区・伏見署)

 36人が死亡、32人が重軽傷を負った京都アニメーション第1スタジオ(京都市伏見区)の放火殺人事件で、殺人などの罪に問われた青葉真司被告(45)の裁判員裁判の第3回公判が7日、京都地裁(増田啓祐裁判長)で開かれた。被告人質問が始まり、青葉被告が、弁護側の問い掛けに応じる形で自らの半生を語り始めた。

 埼玉県で生まれ育った青葉被告は、小学3年の時に両親が離婚した、という。

 トラック運転手だった父と母の仲は「実はそんなに覚えていないのです。そんなに仲が悪くなかったんじゃないか」と記憶をたどった。

 離婚するまで、父、母、兄、青葉被告、妹の5人で2DKのアパートを借りて住み、3DKの部屋に引っ越した。生活水準について問われると、「中の下…」と答えた。

 家族旅行で長野県の軽井沢に出かけたこともあったという。「母親の友人の別荘に連れてってもらった。うちの親父がマイクロバスを借りて行った」

 2歳上の兄とテレビゲームで遊んだ。ソフトは「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」。兄がプレーするのを見ていることが多かった。

 青葉被告は小学3年生ごろから「三国志」に興味を示した。ゲームをきっかけに子ども向けの「三国志演義」の本を買い、「もう少し難しいやつがある」と聞いて、吉川英治が書いた三国志の1~8巻を5000円で買ったという。

 「うちの親父からお金をくすねて買ったと思う」

 母親がミシン販売の仕事をするようになってから、両親の仲が悪くなった。「親父が母親をひっぱたいて、警察を呼ばれた」ことが記憶に残っている。

 小学3年の時に母が家を出た。父は仕事を辞め、無職になった。父はこの頃から糖尿病を患っていた。収入がなくなり、しばらくして生活保護を受けるようになったと振り返る。

 父、兄、妹と4人で暮らすようになり、狭い2DKの部屋に引っ越した。「食べていくのに困った」ことが頭に残っている。

 青葉被告は、スーパーでの買い物のエピソードを明かした。

 「スーパーに1千円を持って行って、1つ50円の冷やし中華を探しにいったら、1個47円のラーメンを見つけた。計算すると、50円の冷やし中華だと20個、47円のラーメンだと21個買える。ラーメンを買って、家族で1個増えたことを喜んで食べた」

 父は離婚するまで子どもたちに暴力をふるうことはなかったが、振る舞いが変わった。「正座させられたり、ほうきの柄でたたかれたり、そういうことはかなりあった」

 素っ裸にされて、外に立っていろと言われたこともあった。暴言は「日常茶飯事過ぎて覚えていない」。兄と青葉被告への虐待は、体が大きくなるまで続いたという。

 父の勧めで浦和市内の柔道センターへ週に2回ほど通った。「自分はちょっと体がやわらかいので結構利点になる。アドバンテージがあった」と述懐した。

 両親が離婚した後、1度だけ兄と一緒に、離れて暮らす母に会いに行った。だが会えなかった。「離婚しているので、母方の祖母には『うちの子ではない』と言われて帰された」と記憶をたどった。

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 検察側は5日の冒頭陳述で、京アニへ恨みを募らせた背景には青葉被告の「自己愛的で他責的なパーソナリティー(性格)」があると主張した。これは生育歴に起因すると分析し、子ども時代の親とのコミュニケーション不全が「独りよがりで疑り深い性格」を生み出したと指摘した。

 起訴状によると、青葉被告は2019年7月18日午前10時半ごろ、京都市伏見区の京アニ第1スタジオに正面玄関から侵入し、ガソリンを社員に浴びせてライターで火を付けて建物を全焼させ、屋内にいた社員70人のうち36人を殺害、32人に重軽傷を負わせた、などとしている。

 裁判の最大の争点は、青葉被告の刑事責任能力の有無と程度だ。

 検察側は、妄想に支配された末の犯行ではなく、「筋違いの恨みによる復讐」と主張。被告には事件当時、完全責任能力があったとしている。一方、弁護側は、被告にとって事件は「人生をもてあそんだ『闇の人物』への反撃だった」と説明。事件当時は心神喪失か心神耗弱の状態だったとして、無罪か刑の減軽を訴えている。

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