わがまちの変遷 高根沢・御料牧場 移転きっかけは成田空港建設

1967年3月、高根沢町の御料牧場予定地を視察する関係者らと案内役の赤羽高根沢町長(左端)

 宮内庁の御料牧場が高根沢町の現在地に移転したのは1969年。それまで千葉県にあった下総御料牧場が、成田空港建設によって移転を余儀なくされたのがきっかけだった。

 町史などによると、移転先の候補地は本県矢板市の2カ所を含めて、埼玉、千葉、静岡の計10カ所だったが、現地調査でいずれも基準に満たなかった。

 この状況下で、高根沢町上高根沢と芳賀町下高根沢にまたがる約250ヘクタールの民有地が推薦された。自然条件や社会的条件などの調査で「適地」と認定された。

 67年7月、御料牧場の建設を担当する新東京国際空港公団が、地権者308人に対して用地買収を開始した。建設費は用地費を含めて22億円で、完成後に同公団から宮内庁へ売却する契約を結んだ。

 皇室の食を支える御料牧場の「適地」と認められた町は、米どころとして栄えていた。

 地域の若手は米の研究に力を注いでいた。町史通信編Ⅱ近現代によると、56年の「米作り日本一」共進会に出品した小林清三(こばやしせいぞう)氏が県内1位。続いて農業コンクール米作部門(58年)で西大谷の鈴木孝(すずきたかし)氏が県1位で農林大臣賞を受賞した。

 朝日新聞社主催の米作日本一賞(67年)で、技術部門の「準日本一」を受賞した野中昭吾(のなかしょうご)氏は、県水稲多収穫研究会での活動などで町内稲作技術の向上に貢献したという。

 そして2019年9月。皇位継承に伴う祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」で用いられる新米に、大谷の石塚毅男(いしつかたけお)さんが育てた「とちぎの星」が選ばれた。

 御料牧場と豊かな米どころは、町の誇りとなった。

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