Jリーグでプレーした「最強のドイツ人選手」5名

9日にアウェイでドイツと対戦する日本代表。

カタールワールドカップで勝利を収めた相手だが、一方で日本サッカーはデットマール・クラマー氏を筆頭にドイツから大きな影響を受けてきた。

1993年のJリーグ創設以降もそれは変わらないということで、ここではJリーグで活躍した「最強のドイツ人選手」5名を紹介する。

ピエール・リトバルスキ

華々しくスタートしたJリーグ。数々の名選手がピッチに集ったなか、圧倒的な技術を見せつけた名手の一人がリトバルスキだ。

西ドイツ代表として1982年から3大会連続のワールドカップ出場を果たし、1990年のイタリア大会で優勝。

日本ではジェフユナイテッド市原でプレーし、「リティ」の愛称で親しまれながら両足を使った技巧的なドリブルでチームをけん引した。

引退後も監督として横浜FCとアビスパ福岡を率いている。

フランク・オルデネビッツ

「オッツェ」の愛称で親しまれたストライカー。

ドイツではブレーメンやケルンで活躍。1993シーズンの2ndステージからジェフユナイテッド市原へ加わると、ケルン時代の同僚でもあるリティのサポートも得ながらゴールを量産した。

2年目の1994シーズンには40試合で30ゴールを記録し、ラモン・ディアスに続くJリーグの2代目得点王に。

ただ、この年のベストイレブンには選出されず…歴代Jリーグ得点王の中でもっとも地味な選手の一人と言えるかもしれない。

ギド・ブッフバルト

今年30周年を迎えたJリーグの歴史において、「最高のセンターバック」として外せない一人。

シュトゥットガルトのレジェンドで、失意に終わった1994年のワールドカップ後に浦和レッズへ移籍。3年半をJリーグで過ごした。

加入当時の浦和は下位に定着していたが、ブッフバルトという大黒柱ができたことで上昇のきっかけを掴み、退団セレモニーで白馬に乘ってスタジアムを周回した姿はいまだに伝説。

2004年から2006年にかけては監督としても浦和を率い、2006年には待望のリーグ初優勝を達成している。

ウーベ・バイン

カカウ(セレッソ大阪)とどちらにするか少しだけ迷ったが、やはり日本でより良いパフォーマンスを見せたバインを選んだ。

リトバルスキ、ブッフバルトと同じ1990年のワールドカップ優勝メンバーで、1994年にフランクフルトから浦和レッズへ移籍。

左利きの攻撃的MFは2年目の1995シーズンに本領を発揮し、相棒の福田正博を得点王へ導く大活躍。自らも18ゴールを挙げてみせた。

なお、バインはのちに日本で行われたトークイベントにて、フランツ・ベッケンバウアーの誘いで浦和行きを決めたと明かしている。

ルーカス・ポドルスキ

21世紀のドイツ人選手ということでは紛れもなく最強の助っ人だろう。

三木谷浩史オーナーのもと「バルサ化」を掲げたヴィッセル神戸、最初のビッグネームとして2017年に加入。

10番を与えられると、翌2018年からキャプテンに就任し、夏にアンドレス・イニエスタを迎え入れたチームにおいてピッチ内外で中心的な役割を果たしていった。

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怪我や体調不良により欠場することも多かったが、2020年1月の天皇杯決勝では決勝点につながるクロスを送り、チームに念願の初タイトルをもたらしている。

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