2006年に行われたFIFAワールドカップ・ドイツ大会。その大会の直前に行われた調整試合で、なんと日本代表が衝撃的なプレーを見せた。
開催国である世界最高クラスのチームであるドイツを相手に2点を先取することに成功。その後2点を取り返されたものの、大会に向けて大きな期待を持たせる90分になった。
今回はその試合で出場した日本代表のスタメン11名を振り返ってみよう。
GK:川口能活
日本代表成績:116試合0ゴール
現在:ジュビロ磐田GKコーチ
日韓ワールドカップでは楢崎正剛にポジションを奪われていた川口能活だが、ジーコジャパンになってから再びファーストGKに復帰。アジアカップで評価を再び大きく高め、コンフェデレーションズカップでもブラジル戦で驚愕の顔面セーブを見せた。
DF:宮本恒靖
日本代表成績:71試合3ゴール
現在:日本サッカー協会理事
日韓ワールドカップで森岡隆三が怪我をしたことからポジションを掴み、日本代表の頭脳として活躍したセンターバック。アジアカップではPKのエンドを変えさせた英語力や交渉力で優勝に貢献、キャプテンとして長くジーコジャパンを支えた。
DF:坪井慶介
日本代表成績:40試合0ゴール
現在:解説者
浦和レッズで圧倒的なスピードを生かしたセンターバックとして活躍し、ジーコジャパン体制で日本代表入り。2003年にメンバーが大きく変わったことでポジションを確保し、コンフェデレーションズカップ2大会やワールドカップ2006に出場した。
DF:中澤佑二
日本代表成績:110試合17ゴール
現在:解説者
日本代表デビューは1999年であるが、その後しばらくチームを離れてジーコジャパンで復帰。2006年ワールドカップ終了後に代表引退するも、オシムジャパンで再び復帰して2010年ワールドカップに臨んだ。田中マルクス闘莉王とのコンビはまさに伝説的。
右WB:加地亮
日本代表成績:64試合2ゴール
現在:カフェ経営、解説者
2002年から所属したFC東京で金沢浄との両サイドバックを形成、見事な活躍を見せてジーコジャパン入り。欧州遠征やアジアカップでレギュラーを奪い、コンフェデレーションズカップではブラジル相手に幻のゴールも奪った。ただこのドイツ戦ではシュバインシュタイガーからの危険なタックルで負傷してしまい途中交代になり、本大会の開幕戦も欠場している。
左WB:三都主アレサンドロ
日本代表成績:82試合7ゴール
現在:指導者、スポーツ団体経営
2001年に日本へと帰化したブラジル出身の三都主アレサンドロ。日韓ワールドカップに出場したアタッカーであるが、ジーコジャパンでは主に左サイドバックやウイングバックとして起用された。オシムジャパンでは再び攻撃的なポジションへ。
CMF:福西崇史
日本代表成績:64試合7ゴール
現在:解説者
日韓ワールドカップでは僅かな出場時間に終わったものの、その後のイングランド戦で稲本潤一が大怪我を負ったためにレギュラーの座を確保。そのままワールドカップ2006まで中盤の守備的な役割を担い、重要な存在となった。
CMF:中田英寿
日本代表成績:77試合11ゴール
現在:実業家
日韓ワールドカップではトップ下として活躍した中田英寿。ジーコジャパンでは中村俊輔や小野伸二らとの併用方法が様々に試された結果、ボランチの一角として起用されるに至った。2006年ワールドカップを最後に現役引退。
OMF:中村俊輔
日本代表成績:98試合24ゴール
現在:ジュビロ磐田コーチ
トルシエジャパンでは最終的にワールドカップのメンバーから外れたものの、ジーコジャパンでは初期の「黄金の中盤」時代から中心的な存在に。この時期はセルティックへ移籍して絶好調だったが、2006年ワールドカップでは体調不良に見舞われてしまった。
FW:高原直泰
日本代表成績:57試合23ゴール
現在:沖縄SV選手兼監督兼代表取締役社長
このドイツ戦で2ゴールを決め、キャリア最高の活躍を見せた高原直泰。ワールドカップ2002とアテネ五輪をエコノミー症候群のために逃し、コンフェデレーションズカップをケガで欠場し、満を持しての大舞台であったが…。
FW:柳沢敦
日本代表成績:58試合17ゴール
現在:鹿島アントラーズ ユースコーチ
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巧みな前線での動きで知られた柳沢敦。鈴木隆行や高原直泰、大黒将志、玉田圭司など個性豊かなストライカー陣の中、トルシエからもジーコからも重用された。ワールドカップ2006ではクロアチア戦で決定的な場面でシュートミスしてしまい「急にボールが来たので」というコメントが話題を集めてしまった。