「戦争は人を狂わせる」 体験者が高校生に伝えたい思い 長崎・諫早市の証言収録の現場とは

B29が墜落していった様子を自宅近くで髙川さんに語る荒木さん(右)=諫早市高来町

 原爆投下、終戦から78年の今年、長崎県諫早市は被爆者ら市内の戦争体験者の証言を映像で残し、インターネットなどで公開・発信する事業に着手した。7月下旬に収録が始まり、継承の観点からインタビュアーは高校生が担う。体験者が次世代に伝えたかった思いとは-。収録現場を取材した。
 「突然、ピカーッとものすごい光が(家の中に)入ってきた」。9月4日、同市高来町三部壱。5人目の収録となった荒木登志男さん(84)が自宅でカメラを前に語り始めた。荒木さんのインタビューを担当した同町在住の県立諫早高3年、髙川紗希さん(17)が真剣なまなざしを向ける。
 湯江国民学校(今の市立湯江小)1年生だった1945年8月9日。母親らと自宅にいた荒木さんを強烈な閃光(せんこう)が襲い、家が揺れた。「ドーン」という大きな地響き音。「駅付近に爆弾が落ちたばい」。慌てふためき、裏口から外に出た。数百メートル先の湯江駅に目を向けたが変わった様子はない。ふと諫早の中心部方面を見上げると黒い噴煙が空全体を覆い始め、やがてきのこ雲が姿を現した。直線距離で約30キロ離れた長崎への原爆投下だった。
 数日後。1人の中年男性が竹つえを手に、おぼつかない足取りで自宅前を通り過ぎていった。高来に避難してきた被爆者だった。肌は赤く焼けただれ、首筋や肩口には卵大の水ぶくれ。痛ましい姿が今も脳裏に焼きついている。
 ごう音を響かせ空を覆った米軍機の大群、列車を狙った機銃掃射、昼夜なく鳴り響いた空襲警報-。食べ物に事欠き、愛犬は兵隊に送る毛皮用として撲殺された。44年11月21日には襲来した米B29爆撃機が多良岳上空で日本軍の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)と交戦し、小長井港沖に墜落。息絶えた米兵の遺体を興奮した群衆が竹やりで突き刺したと後に聞き、戦争の愚かさに言葉を失った。
 記憶を基に色鉛筆を走らせた100枚を超える絵、B29の手作り模型などを示しながら自宅や外で約2時間半にわたって体験を語った荒木さん。「(銃後の守りを求められた)女性たちは竹やり訓練を繰り返した。相手は機関銃を撃ってくるのに。竹やりで戦争に勝てますか?」。孫に語りかけるようにして当時を振り返り、最後はこう締めくくった。「善良な人も戦時中は鬼になった。戦争は人を狂わせてしまう。それが一番怖い。今日は若い人に聞いてもらい、本当にうれしかった」。髙川さんは「自分が住む地域でどんなことがあったのか知りたかった。今日の話を自分の中にとどめるのではなく、自分なりに伝えていきたい」と力を込めた。
 市は継承事業として戦争・被爆体験記を募り、2010年度から冊子にまとめてきた。体験者の話を直接聞く機会が失われつつある中、本人の声や姿を映像で残すことにし、手記を寄せてくれた市民の中から11人に協力を依頼。1人20~30分程度に編集した上で、来年度、市ホームページ(HP)などで公開するほか、DVDにして市内図書館に配布する計画だ。収録に協力する市民からは「被爆者や戦争体験者はやがていなくなるが、映像が残ることで私たちの思いが少しでも伝わり、それを見た子どもたちが次の世代につないでくれればうれしい」との願いが聞かれる。
 市によると、11人のうち半数が90代で最高齢は100歳。市企画政策課は「収録候補の1人に挙げていたが急に体調を崩し、亡くなった方もいる。収録は時間との勝負と感じている」としている。

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