「ひとり残されるぐらいなら、自分も船に乗っていれば良かった」知床観光船沈没、元妻と息子はいまだに行方不明 それでも家族は取材に応じる「これは事件だから」

2022年5月、海面上までつり上げられた「KAZU Ⅰ」=北海道斜里町沖

 2022年4月23日、世界自然遺産の知床半島を巡る観光船「KAZU Ⅰ(カズワン)」が乗客乗員計26人を乗せたまま沈没した。これまでに20人の死亡が確認されたが、残る6人の行方は分からないままだ。6人の中には高岡佳さん=仮名=の元妻と息子も含まれている。事故発生から約1年5カ月。「1人で残されるくらいなら、自分も乗っていれば良かった」。自分の人生も終わってしまったように感じるほど苦しいが、報道各社の取材に対し、可能な限り応じて思いを語ってきた。「これは誰かが責任を取らなくてはならない『事件』。風化させてはいけない」と危機感を覚えるからだ。(共同通信=阿部倫人)

2人の帰りを待つ高岡佳さん=仮名=、2023年7月18日、北海道内

 ▽かけがえのない家族
 8歳下の元妻と知り合ったのは2005年ごろ。口数の多くない高岡さんとは対照的な「ムードメーカー」。徐々にひかれていった。ロックが共通の趣味で、特に高岡さんのお気に入りだった北海道出身のロックバンド「怒髪天」のライブやフェスにはよく2人で足を運んだ。
 彼女は旅行関係の専門学校出身だった。連れられて国内外のいろんな場所を旅した。生まれて初めて見たイタリアの美しい街並みに心を奪われたが、旅行中にカメラを盗まれてしまった時は、現地警察のいいかげんな対応に2人で憤った。「彼女と出会って自分の世界は間違いなく広がった」。今でも感謝している。
 結婚後の2017年1月、待望の息子が生まれた。分娩室の前で産声が聞こえると、うれしくて自然と涙があふれた。担当医の「元気な男の子です」という言葉に、安心感から医師が苦笑いするほどまた泣いた。2人で決めた名前は、高岡さんと同じ、漢字1文字で中性的。呼ぶたびに「この名前にして良かったね」と2人でほほ笑みあった。

息子が愛用していた、電車がデザインされたドリンクホルダー、2023年4月3日、北海道内

 息子は次第に大の鉄道好きになった。近所の踏切に連れて行き、ラッピング列車を見たり、警笛を聞いたりすると興奮した声で喜ぶ。それを見ると自分までうれしくなった。鶏肉を甘辛く煮た高岡さんの手料理が大好物で、「おいしい?」と聞くと、親指を立てて応じるのがお決まりだった。

事故当日に高岡さん(仮名)と元妻がやりとりしていたLINEの画面(高岡さん提供、画像の一部を加工しています)

 ただ、2022年3月に元妻と離婚した。互いに納得していたし、その後も3人がかけがえのない家族であることに変わりはない。継続的に連絡を取り合った。息子には初めての自転車をプレゼントする約束をしていたし、珍しい鉄道車両を見に遠出する予定もあった。
 翌月21日には、旅行に出発する2人を見送った。元妻からは「自転車の練習に付き合ってあげてね」とお願いされていた。
 23日午前9時51分、元妻からLINEで「今から船乗る!」というメッセージが届いた。続けてウトロの観光名所「ゴジラ岩」と息子の写真。だが、これを最後に連絡が途絶えた。「いつもはすぐに返信があるのに、旅行が楽しくて返信する暇がないのかな」。少し不思議には思ったが、事故が起きているとは思いも寄らなかった。

観光船「KAZU Ⅰ」の音信が途絶えた北海道・知床半島沖のオホーツク海=2022年4月(共同通信社ヘリから)

 ▽人災
 事故の概要は、国の運輸安全委員会が今年9月に公表した最終報告書の推定によると、次の通り。
 4月23日はカズワンにとって、シーズンの営業初日だった。午前10時ごろ、斜里町のウトロ港から出航。波は穏やかだった。知床岬まで約3時間で往復するコースだった。
 正午前、ほぼ予定通りに岬に到達したが、波は次第に高くなり、減速を強いられた。船体が揺られ、甲板にあるハッチ(昇降口)のふたが開放。高波をかぶり、ハッチを通じて船底部に大量の海水が流入した。エンジンは浸水で停止し、午後1時26分以降、名所の一つ「カシュニの滝」付近で沈没した。

無人潜水機で撮影された観光船「KAZU Ⅰ」の船首=2022年5月(第1管区海上保安本部提供)

 運輸安全委員会の報告書には、事故が人災だったとうかがわせる記述が数多くある。当日は出航前から強風・波浪注意報が発令されていたが、桂田精一社長(60)と豊田徳幸船長=事故で死亡、当時(54)=は、気象が悪化した時点で引き返す「条件付き運航」を決めた。
 豊田船長は、2020年8月から4カ月間、甲板員として乗船した後、21年4月に船長になった。同業者らによると、気象などの予測をするには甲板員の経験が3~5年必要。その点で豊田船長は経験が浅く、理解が不足していたと感じていた。沈没当日、豊田船長に「行ったらだめだぞ」と直接忠告した人もいた。
 船の運航管理者は、実務経験が乏しい桂田社長だった。航行中は原則、事務所にいなければならなかったのに、この日は不在にしていた。船との通信手段は業務に使用できないアマチュア無線を使っており、しかも事務所のアンテナは破損していた。豊田船長は携帯電話を持っていたものの、事故が起きた航路の大半は通信エリア外だった。

沈没の2日前に「KAZU Ⅰ」で行われた救命訓練の様子。船首付近の甲板にあるハッチ(円内)のふたが約3㌢浮いていたとの証言がある=2022年4月(運輸安全委提供)

 問題点は、社長と船長だけでなく行政にもある。海水の流入元となったハッチは、事故前の写真や証言などから、ふたの留め具が摩耗し、出航前に密閉されていなかったとみられる。国の代行機関である日本小型船舶検査機構(JCI)が事故3日前の4月20日に船体を定期点検した際、ハッチの開閉試験を省略していたことが判明した。
 第1管区海上保安本部は豊田船長や桂田社長らを業務上過失致死容疑で捜査している。

事故について記者会見する「知床遊覧船」の桂田精一社長=2022年4月、北海道斜里町

 ▽あの日
 高岡さんが事故を知ったのは夕方のテレビニュースだった。すぐに運航会社に電話。乗客名簿には2人の名前があると言われた。
 いても立ってもいられず、現地へ向かった。「頼む!無事でいてくれ!」。午後6時28分に送ったメッセージに返信はない。ウトロに着いたのは翌24日午前0時ごろ。ほかの乗客家族もいる待機場所で桂田社長本人は「救命ボートを積んでいる」と説明をした。
 高岡さんは「それなら大丈夫かも」と自らに言い聞かせた。しかし食事を取る気にはなれず、眠ることもできなかった。

知床岬の沖合で見つかった息子のリュックサックを抱える父親=2022年7月27日、北海道内

 後になって判明することだが、実際には船に救命ボートは搭載されていなかった。24日以降、乗客たちが海上で見つかり始めたが、いずれも死亡が確認された。29日には海底に沈んだ船体が発見されたが、いつまで待っても元妻と子どもの安否は分からない。
 「もしかしたら乗っていないのではないか」。そんな思いに必死にすがりついたが、4月末、新幹線がデザインされたリュックサックが海で見つかった。息子のものだ。現実を突き付けられた。

知床半島の沿岸で行方不明者の捜索に当たる海上保安庁の捜索隊=2023年4月22日、北海道羅臼町

 ▽国への不信感
 国土交通省と海上保安庁(海保)は、事故当日から現地に対策本部を設置し、乗客家族らへの対応に当たった。「現場の人が一生懸命やってくれているのは分かるんです」。そう思いつつも、高岡さんの心には、国に対するぬぐえない不信感が生じている。なぜか。
 カズワンは2021年5月、同6月に暗礁や浅瀬への乗り上げ事故を起こしていた。国交省の北海道運輸局はこの年、特別監査と抜き打ちの点検を行っていたが、ずさんな運航管理を見抜けなかった。

 今年7月、運輸安全委員会は最終報告書の取りまとめに向け、外部の有識者や関係者から事故原因や再発防止策の見解を聞く意見聴取会を開いた。公述人の中尾政之・東京大大学院教授は、国の監査やハッチの不具合を見逃したJCIの検査をこう断じた。「なれ合い、不備があった」。高岡さんの思いも同じだ。「国さえきちんとチェックしてくれていれば」
 事故後の対応にも疑問を感じた。例えば乗客家族に向けて開かれていた説明会。当初は週2回開かれていたが今年4月28日に打ち切られた。理由は「開催頻度を減らしてもいいという家族側の意見があった」というが、事前の説明もなく、当日になって急に担当者から言われた、と高岡さんは語る。9月から月1回の「連絡会」が開かれることとなったが、「お役所仕事なんだな」と感じてしまう。
 疑念は海保にも向く。乗船客の家族有志は沈没直後から地元漁師らの話を聞き、捜索は海上からの目視だけでなく、半島沿岸部の海中捜索にもっと人員を割くよう方針の変更を求めてきた。しかし、海保側の返事はいつも「コンピューターの計算をもとに、一番発見確率の高い海域を探している」だった。
 ところが2022年8月、漁師らがボランティアで捜索し、沿岸部で骨や漂着物を相次いで発見。すると、海保なども通常の捜索よりも多くの潜水士や機動救難士を海岸線に投入するようになった。北海道周辺を管轄する第1管区海上保安本部の幹部は「沿岸捜索を軽視していたわけではない」と説明する一方でこうも話した。
 「8月を境に増やしたと見られてもおかしくはない」
 高岡さんは、捜索ボランティアの人たちには感謝してもしきれない。報酬もないのに、自分たち家族のために力を尽くしてくれた。「彼らは本当に見つけようと思って捜索してくれている。信頼感が全く違う」

お絵かき帳を手に、今も行方が分からない7歳の息子と元妻の帰りを待つ男性=2022年10月21日、北海道内

 ▽忘れてほしくない
 最近、趣味だったギターを久しぶりに演奏した。友人たちとも月に1~2回は会えるようになった。しかしそのつど「自分だけが楽しんでていいのかな」と、2人に対して罪悪感を覚える。「離婚していなければあの旅には行かず、船にも乗らなかったかも」と自分を毎日責めるようになった。昨年7月、うつ病と診断された。2人が早く帰ってこられるよう父の仏壇に祈るが、事故を思い出し、心がもたない。
 沈没1年となった今年4月23日、地元の斜里町が被害者追悼式を開いた。男性はウトロを訪れ、捜索ボランティアらに直接お礼を伝えたものの、「2人の帰りを待ち続けたい」と式典を欠席した。
 この間、半年、1年といった節目が来るたびに報道各社の取材に応じ、2人の人柄や思いを語ってきた。それは事故を忘れてほしくないとの思いからだ。

知床沈没事故から1年となり、開催された被害者追悼式=2023年4月23日、北海道斜里町

 事件や事故の被害者、遺族に取材を試みる報道機関への批判は近年、ますます強まっている。知床観光船事故でも発生直後、犠牲者の親族が「私たちは犯罪者ではない。報道のモラルが非常に残念だ」と強い口調で批判したこともあった。
 高岡さんも、ほかの家族たちが取材を受けたくない気持ちは理解できる。自身も親族から「マスコミに話すのは良くない」と言われた。元々、人前で話すこと自体、得意ではない。
 ただ、それ以上に危機感を強く持っているという。報道が事故直後と比べて激減したことに、ショックを受けた。「事件の風化は、運航会社側の得になるだけだから」。2人の帰りを待ちながら、思いを訴え続けている。

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