「銀座時計店強盗」19歳“運転手役”が起訴内容認める “特定少年”が「闇バイト」に至るまでの複雑な生い立ちとは?

19歳の被告は薄紫色のシャツ姿で出廷。右耳には同時通訳用のイヤホンを装着していた(画:権左美森)

東京・銀座の高級時計店で今年5月、腕時計など74点(約3億850万円相当)が奪われた事件で、強盗などの罪に問われた作業員の男性(19)の初公判が11日、東京地裁(蛭田円香裁判官)で行われ、男性は起訴内容を認めた。

事件では、作業員の男性を含む強盗の実行役4名が逮捕され、16歳の少年=少年院送致=を除く、3人が起訴された。

検察側の冒頭陳述によれば、男性は同事件ですでに起訴されているA被告(19)と同居しており、A被告から犯行を持ちかけられて事件に参加したとされる。

また、事件では「運転手」を務めていたといい、他の3名が時計店で犯行を行っている間はA被告に対して通話で経過時間を知らせながら路上で待機していた。3名が車に乗り込んだ後、警察車両に追われる中で赤信号無視などを繰り返しながら逃亡したという。

“白昼堂々”強盗が行われた銀座の時計店(5月13日/弁護士JP編集部)

初公判では証人尋問と被告人質問(一部)が行われた。証人は男性の母親を含む3名が出廷した。なお男性は日本語より英語が堪能であることから、裁判には通訳が参加。裁判中、発言者の発言はすべて一度英語に訳された。

「父親のアルコール依存症」「言葉の壁」少年の複雑な生い立ち

証人らの発言や、一部行われた被告人質問から男性の生い立ちがわかってきた。

アメリカ人の父と日本人の母を持つ男性は、日本で生まれた後、2歳から米・カリフォルニア州に移住。日本とカリフォルニアを行き来するが、父親のアルコール依存症治療のため、男性が小学校2年生から5年生までの間は、飲酒が禁止されているクウェートに家族で暮らしていたという。小学校5年生の時に、母親と妹は日本に帰国、男性と父親は米・オクラホマ州に移り住んだ。

証人尋問で男性の母親は、父親について「アルコール依存症とアメリカ軍人として爆弾を落とした経験からPTSDを発症しており、突然泣き出すこともあった。お酒を飲むと凶暴になり、息子(男性)を羽交い締めにするなど強く当たっていた。(男性の)首をしめているのを目撃して止めたこともあった」と語った。

一部行われた被告人質問で、男性は父親について「お酒を飲まない時は良い人だったが、『殺してやる』と言われたこともあり命の危険を感じたこともあった」と述べた。

母親の証人尋問中も男性は伏し目がちだった(画:権左美森)

小学校6年生の時に、父親から「“夏休みだけ”日本に行ってくるか?」と聞かれた男性は「行きたい」と希望し、日本に帰国。“だまされるような”形で、日本語がほとんど理解できないまま日本の小学校に転入させられた。母親は「仕事が大変で、何も(男性の)ケアができていなかった」と振り返った。また男性は「周りの人が当たり前にできていることができず、赤ちゃんに戻ったようだ」と当時母親に語っていたという。

言葉の壁は高く、中学2年生の時は不登校になった。当時のことを聞かれた男性は「不良っぽい子と一緒にいました」と11日の公判中唯一となる日本語で答えた。理由を尋ねられると「そういう子は家に居場所がない、家族との関係が良くない子が多く、自分の話も聞いてもらえたから」と英語で述べた。

高校に進学するころには日本語での日常会話は「少しできた」というが、相変わらず読み書きなどは苦手なままだったという。敬語が使えないことが理由で先輩に殴られるなどし、高校は4か月で中退した。

「大人にならざるを得ない環境に置いてしまった」

11日の公判では、主に以上のような被告人の生い立ちが語られ、事件に関係することになったきっかけや、動機について本人の口から聞くことはできなかった。

家庭や高校だけでなく、クウェートで通った「敬虔(けいけん)なキリスト教」のホームスクールでも、高校中退後に就いたとび職でも、教師や上司からの「暴力」にさらされていたという男性。“救世主”となる理解者の不在が男性を「闇バイト」へと誘ったのだろうか。

証人尋問で母親は「(男性の)話を聞いてあげられず、大人にならざるを得ない環境に置いてしまった。事件後、これまでのことを初めて本人に謝った。今後は一緒に住み、仕事についても知人などを頼り支援していくつもりだ」と述べた。

日本語と英語が飛び交う法廷内で、男性は時折額の汗を拭うそぶりを見せたが、右耳につけたイヤホンから流れる通訳に集中するためか、伏し目がちに宙を見つめていることが多かった。

指示役や共犯者との関係性や、事件に関与した動機などについては、次回期日で明らかになるだろう。

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