比江島慎「完璧だった男が苦難の末につかんだ栄光と自信」[リバイバル記事]

宇都宮への電撃移籍そして、初めての海外挑戦

FIBAワールドカップ2023での日本代表の戦いに胸を熱くしたという方も少なくないはず。結果的に日本代表はアジア1位の結果を残し、48年ぶりとなる自力でのオリンピック出場権奪取という歓喜のエンディングを迎えた。3勝の内の一つ、ベネズエラ戦では宇都宮ブレックスの絶対的なエース比江島慎が4Qだけで4本の3Pを含む17得点と爆発。逆転勝利に導いた。常に世代のトップを走り続けてきた男、比江島は海外挑戦や宇都宮のシステムへのアジャストという”“壁”を乗り越え、一昨季ついに自身初のリーグ制覇を成し遂げた。宇都宮移籍という決断からの比江島のキャリアを振り返った。

※『月刊バスケットボール』2023年2月号「宇都宮ブレックス特集」掲載記事を再編集した記事になります

比江島慎という男のキャリアは完璧なように思える。

福岡・百道中時代は全中3位にジュニアオールスター優勝、洛南高ではウインターカップ3連覇、青山学院大でも王朝の中心としてタイトルを総なめにし、在学中に日本代表に選出された。トップリーグでも巧みなステップを生かしたドライブ、ゲームメイク、アウトサイドショットと多岐にわたる活躍を見せ、2017-18シーズンにリーグMVP、昨季は自身初のBリーグ制覇とチャンピオンシップ(CS)MVPも獲得。国内の主要タイトルは網羅したといってもいいだろう。

そんな比江島が宇都宮ブレックス(当時は栃木ブレックス)にやってきたのは5年前、18年の夏だ。国内では敵なしでも世界に出れば自分の力がなかなか通じない。日本代表でそれを感じ取っていた比江島は、「もし、あのタイミングで海外に挑戦しなかったら一生後悔しただろう」と、チャレンジを後押ししてくれた宇都宮への移籍、並びにオーストラリアNBLのブリスベン・ブレッツへの挑戦に踏み切った。

だが、現実は過酷。ブレッツでは言語の壁や慣れない環境への苦戦もあり、出場僅か3試合、平均出場時間もたったの1分でシーズン途中に帰国し、宇都宮に加入。翌年はニューオーリンズ・ペリカンズの一員としてNBAサマーリーグに挑戦するも、こちらも満足な結果にはつながらなかった。

それでも、「決して通用しなかったとは思っていませんし、日本でも成長できると信じて戻ってきました」と比江島。立場を追われてやむなく帰国したというわけではないと強調する。常にトップを走り続けてきた比江島にとって、数少ない“壁”となったこの経験はある意味では新鮮で、発見でもあった。「成功したとは言えない結果でしたが、行かないと分からなかったこともあったし、練習では通用すると感じた部分もありました。世界との戦い方を肌で感じられたので、本当に気持ちもすっきりしています」。アスリートのキャリアは短命で、特に全盛期とされる時期は5年ほど。チャンスがあるうちに飛び込んだからこその“リアル”を体感した意味は大きい。

悔しさ、自信、責任を原動力に頂点へ

場面変わって帰国後の18-19シーズン、比江島はシーズン途中での合流もあり、ベンチからの出場となっていた。「ブレックスのディフェンスはリーグ屈指なので、それに慣れるのには時間がかかりました。もしスタメンで出ていたらチームに迷惑もかけていただろうし、ベンチスタートの経験は少なかったのでアジャストが大変でした」と比江島。慣れない控えからの出場についても「宇都宮に来てベンチスタートの重要性を肌で感じることができました。試合の状況をより見なければいけなくて、スタートの流れが悪ければよりアグレッシブに、流れが良ければそれを引き継がなければいけません。試合の中でアジャストすることは勉強できましたし、それは日本代表で八村塁選手や渡邊雄太選手が入ってきて、自分が控えに回ったときに生きたと思います」と言う。

振り返ると、あの時点で比江島をベンチ起用するという思い切った選択が取れるチームは宇都宮だけだったのではないだろうか。キャリアのピークにスタメン出場が確約されない立場に身を置いた経験も、比江島に選手としての深みをもたらした。

そして19-20シーズンにスタメンに戻ると、20−21シーズンは昨季CSでの大爆発につながる伏線となる。このシーズンは当時の安齋竜三HC(現越谷HC)が「絶対に優勝というところまでチームを作り上げてきた」という勝負の年で、レギュラーシーズン(49勝11敗)とCSを圧倒的な強さで駆け抜け、ファイナルでは千葉ジェッツと対戦。ただ、肝心のファイナルでは最終第3戦までもつれる激闘の末に敗れたのだった。比江島にとっては優勝が目の前でこぼれ落ちたことはもちろん、千葉Jの徹底マークに苦しみ僅か平均6.7得点に抑え込まれた悔しさもあり、敗戦後の会見では何度も「申し訳ない」という言葉を繰り返した。

しかし、シーズン直後の東京2020オリンピックでは八村、渡邊、馬場雄大の海外組に次ぐ平均7.7得点を記録。3試合中2試合で2桁得点を挙げ、47.6%のFG成功率はチーム2位とファイナルの悔しさを燃料に変えてみせた。「オリンピックでは世界を相手に通用した部分があって、それが自信につながりました」と比江島。

悔しさと自信を糧として、良い手応えをつかんで21-22シーズンにつなげたわけだが、時を同じくして宇都宮にとって分岐点となる出来事が起こる。長年チームを支えてきたジェフ・ギブスとライアン・ロシターの退団による主力の大幅な入れ替えだ。「攻めてほしいというのは最初から言われていたことで、あとは自分の意識が変わるかどうかの問題でした。ジェフとライアンが抜けたことで、より自分がしっかりしなければという責任を持てました。最初からやれよって感じですけど(笑)…あそこで完全にスイッチが切り替わりました」。

そして、一昨季のファイナルである。よりアグレッシブに、ハードに仕掛け続けて琉球ゴールデンキングスを2連勝で撃破。平均得点は前年ファイナルの約3倍となる20.5得点で、第2戦で琉球に引導を渡すスティールからのレイアップは、比江島がさらにステップアップしたことを象徴するものとなった。

苦難を乗り越え、名実共に宇都宮のエースとなった比江島。彼が今、選手として目指すのは日本代表としての世界での1勝だ。「まだまだ世界との差は埋まっていませんが、Bリーグでレベルアップできるのは去年経験できたことです。国内で成長しながら活躍し続けて、来年のワールドカップや再来年のオリンピックにつなげていきたい」。当時語っていた目標は、ワールドカップで達成することになった。

比江島を長年間近で見てきた渡邊はワールドカップ中、「僕は『彼を止められる選手は世界でもなかなかいない』とずっと言い続けている。正直、僕は彼のBリーグでのスタッツには全く納得していないんです」ともっと活躍して当たり前だと注文を出していた。来るべき新シーズン、“比江島タイム”は幾度見られることになるだろうか。


Profile

比江島 慎

Makoto Hiejima

ポジション:SG

生年月日:1990年8月11日(33歳)

身長/体重:191cm/88kg

出身:福岡県

出身校:洛南高→青山学院大

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