【中原中也 詩の栞】 No.54 「月」(詩集『在りし日の歌』より)

今宵月は蘘荷(めうが)を食ひ過ぎてゐる
済製場(さいせいば)の屋根にブラ下つた琵琶(びわ)は鳴るとしも想へぬ
石灰の匂ひがしたつて怖(おぢ)けるには及ばぬ
灌木(かんぼく)がその個性を砥(と)いでゐる
姉妹は眠つた、母親は紅殻(べんがら)色の格子を締めた!

さてベランダの上にだが
見れば銅貨が落ちてゐる、いやメダルなのかァ
これは今日昼落とした文子さんのだ
明日はこれを届けてやらう
ポケットに入れたが気にかゝる、月は蘘荷を食ひ過ぎてゐる
灌木がその個性を砥いでゐる
姉妹は眠つた、母親は紅殻色の格子を締めた!

【ひとことコラム】〈済製場〉は包帯やガーゼを石灰等で消毒・洗浄する場所で、中也の実家・中原医院にもありました。幼少期の記憶につながる情景の中、物忘れしているようにぼんやりした月の下で、拾ひ上げポケットにしまう丸い形のものは、「月夜の浜辺」の〈ボタン〉にも通じています。

中原中也記念館館長 中原 豊

© 株式会社サンデー山口