16日開幕の北國新聞創刊130年記念第35回ツール・ド・のと400(同実行委、北國新聞社主催)を「自転車人生の集大成」と位置付けて挑む男性がいる。第1回大会から連続出場する川端明さん(75)=内灘町=で、体力の衰えを理由に今年限りでの引退を決意した。台風が直撃しても、足がけいれんしても走り続けてきた「鉄人」は「完走して有終の美を飾りたい」と闘志を燃やしている。
川端さんは1989(平成元)年の第1回大会に41歳で出場し、3日間で400キロ以上を走るチャンピオンコースに挑み続けてきた。完走した際の達成感と、年に1度の大会で再会する知り合いとの交流が楽しみで、「一日中走った後に民宿で味わう能登の新鮮な魚や地酒も格別」という。
川端さんにとって、ツール・ド・のとは1年に1度の「体力テスト」でもある。「大会を終え、つらいと思っても、すぐにまた来年も頑張ろうと自分を突き動かしてくれる魅力がある」と語る。
大会で走行中、ふくらはぎがけいれんしてリタイヤしそうになった時もあった。ボランティアスタッフに「もう少し、頑張って」と塗り薬を渡され、「元気を取り戻したこともあった」と振り返る。
何よりの支えは家族だった。妻の美千代さんは初出場の時から荷物を運んだり、車で伴走しながら応援してくれた。「くじけそうになったこともあったが、家族のおかげでここまで続けることができた」。川端さんはしみじみと語る。
美千代さんは2011年8月、大腸がんにより61歳で帰らぬ人となった。しかし、川端さんは心の支えを失った寂しさをこらえて翌年の大会も出場。最愛の妻との思い出をいとおしみながらペダルを踏んだ。
16年には長男の大介さん(44)、孫の隼介(しゅんすけ)さん(14)を誘い、長年の夢だった3世代での参加を実現した。今年は出場2回目となる孫のあいりさん(10)も最終日の1日コースに加わる予定で、4人で走るのが楽しみで仕方ないという。
本番を2日後に控えた14日、川端さんはいつもの河北潟干拓地周辺で2時間、40キロの練習をこなした。「毎年この時期になったら『やらんといかん』という思いが湧いてくる。最後の大会を目いっぱい楽しみたい」とラストレースを心待ちにした。
●3日間、半島を400キロ
北國新聞創刊130年記念第35回ツール・ド・のと400は16日から3日間の日程で行われる。金沢市の県西部緑地公園が発着点となり、初日は輪島市までの約140キロ、2日目は七尾市までの約150キロ、最終日はゴールの金沢市までの約120キロで行われる。