アートの街・天王洲を生んだ、巨大壁画

「水辺とアートの街」 天王洲運河## はじめに

品川駅に隣接し、東京モノレールとりんかい線の交差する運河のまち天王洲アイル(東京都品川区)は、最近、アートの街として注目されており、さまざまなメディアで取り上げられる機会が増えています。アートの街といわれる要因はいくつかありますが、そのひとつが「巨大壁画」のある独自の景観であると思います。大きなものでは1000㎡を超えるものもあり、それらが天王洲アイルの景観と一体となることで新たな景観を作り出しています。しかし、この巨大壁画は描きたいときに簡単に描けるものではなく、さまざまな手続きを経て掲出に至っており、今回はこれまでの紆余曲折を書きたいと思います。

運河沿いに巨大壁画「POW! WOW!」## 最初は「POW! WOW!」

「POW! WOW!」はハワイで始まったコンテンポラリーアートのイベントで、国内では2015年に天王洲アイルで初めて開催されました。エリア内の公開空地、建物壁面に国内外のアーティストが作品を描き、街をアートで彩る取り組みで、当時は国内では壁画イベントの事例がほとんど無い時期に開催されたため、大きなインパクトがありました。しかしながら、手続きは最小限にとどまり、期間は設置から原状回復までが7日以内と短期間に一部条例を変更して実施されました。

しかし、この短期イベントで設置されたアート作品について、さまざまなところから「短期で消すのはもったいない!」との声が上がり、一部の作品を消さずに残すことができないか、この模索が現在の天王洲アイルの景観形成につながっていると考えています。

行政からはすぐに消せ! の指導

「POW! WOW!」の主催者は当初計画通りすべて原状回復をしようとしましたが、街としてもうしばらく掲出したいということで、原状回復の作業を延期してもらいました。残した作品はイベント中最も大きいもので、東横イン立体駐車場の壁画でした。格闘ゲームに出てくる相撲取りのキャラクターの絵で、大きさは約600㎡もありました。今でこそわかりますが、東京都の屋外広告物条例の規則では、100㎡かつ壁面の30%を超えてはいけないとなっており、この壁画はそれを大きく超過するものでした。当然条例違反ということで、すぐに消すよう指導がありましたが、何とか延長できないかと交渉を続け、最終的には約1年後、消すに至りました。

水辺の芸術祭2018春「品川の月」## 水辺の芸術祭2018春

壁画を残すために交渉をしたのは、品川区の防災まちづくり部土木管理課占用係という部署で、ここは屋外広告物を担当しています。東京都の場合、都の屋外広告物条例に基づき、各区の窓口が申請を受け、許可を出す流れで運用されています。壁画を消した後の報告に窓口に行った際に、規格を超える壁画の掲出への「特例許可」についてヒントをもらいました。まずは品川区の景観審議会にかけ、その後、東京都の屋外広告物審議会にかけ、特例許可を得られれば100㎡を超える壁画の掲出が可能になるということで、早速チャレンジすることになりました。

まずは壁画を描く壁面の交渉から始めました。最初に候補になったのはやはりあの相撲の絵があった東横インの立体駐車場壁面でした。東横インからはこの取り組みについての理解を得られ、浮世絵をモチーフにしたものというお題もいただきました。浮世絵をモチーフにするならば、品川に関係するものがよいということになり、アーティストに品川の月をモチーフにした作品の原画を描いてもらい、所有者、地域、行政との調整を図りました。

歌川広重画「江戸名所品川の月」原画(左)、原画オマージュ## 1度目の特例許可

品川区の景観審議会は一定規模以上の開発、建物の外壁改修が景観に与える影響について審議を行う場です。初めての景観審議会では、天王洲の景観ルール上は明るいトーンの色は使用不可となっており、これらを例外規定で認めることと、街づくりにアートを用いるという活動自体に対して審議が行われました。そして今回の計画内容自体は認めるということになりましたが、今後この取り組みを続けていくに当たっては、地域としてアートを活用した街づくりの計画書を提示しなければ次は認めないとの意見が付き、次回以降大きなハードルができてしまいました。しかし、まずは一歩前進ということで、次の東京都屋外広告物審議会に進みました。広告物審議会には100㎡かつ30%の規格を超える掲出に対する特例許可を求めて付議し、景観審議会と同様の意見付きで無事特例許可(許可期間は6カ月)を得ることができました。

制作・展示・反応

このようにして準備が整い、巨大壁画の制作を行い、2018年4月に「品川の月」をお披露目することができました。2017年8月から計画・手続きを行い、9カ月かけての実現でした。許可された展示期間が6カ月のため、その間に次のステップに進めるかがポイントでした。就労者、住民、来街者にアンケートを実施し、巨大アートが景観へ与える影響を検証した結果、おおむね前向きの結果を得ることができました。

「品川の月」壁画制作の様子## 天王洲アートフェスティバル企画

「品川の月」は掲出期間が6カ月で終わってしまうため、同時進行で次の企画を始める必要がありました。単独の巨大壁画だけではやはりアートの街とは言い難いという意見と自身の実感もあり、また、複数箇所で実施した場合の効果検証も必要になるとの考えで、地域内で壁画が描ける壁面を探し、所有者との交渉をスタートさせました。建物所有者からすると、アートを掲出することで建物の価値が下がるのではという懸念もあり、いずれの所有者も慎重になっていましたが、掲出中の作品に対するアンケート調査の結果等を示しながら、少しずつ理解を得ていきました。

地域としてのアート活用計画

前回の品川区景観審議会において、次回以降のアートによる街づくりの取り組みは、地域のアート活用計画を示した上で進めることとの意見が付されており、アートフェスティバルを企画するということは、アート活用計画の立案が必須ということになります。品川区の景観行政は都市環境部 都市計画課 景観担当という部署が担当しており、当時の熱血係長に「せっかくやるなら景観重点地区を目指そう」と言われ、すぐにその気になったと記憶しています。ただ実際は簡単ではなく、国の法律(景観法、投影広告物条例ガイドライン)、都の条例(東京都屋外広告物条例、水辺景観形成特別地区)、区の計画(品川区景観条例、品川区景観計画)などとの整合性を図りながら、さらに天王洲ISLE街造り憲章、街づくりマニュアルとも連携し、「藝術国際都市・天王洲」の形成をテーマに掲げて活用計画を作成しました。

天王洲地区景観まちづくり研究会(左、中)、アイデアブック## 天王洲地区景観まちづくり研究会

活用計画作成の作業と並行して景観重点地区を目指す核となる組織として、「天王洲地区景観まちづくり研究会」が発足し、各団体の代表者、学識経験者が、街の景観にどのような課題があり、どのような街の景観を目指すのかという議論が始まりました。大枠の議論に加えてアートフェスティバルの次期開催とそれに合わせた活用計画の内容も話し合われましたが、現代アートはアートなのか、グラフィックとアートの違い、誰が作品の決定をするのかなど、私を含めてアートの専門家ではない人がアートを論じる難しさを痛感しました。最終的には2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会への機運醸成も含めてやってみて、その結果で議論を継続するということで地域の合意が得られ、「天王洲アートフェスティバル2019」の掲出期間は東京2020オリンピック終了予定の2020年7月31日となりました。

『”The Shamisen” Shinagawa 2019』 ARYZ / TENNOZ ART FESTIVAL 2019## 天王洲アートフェスティバル 2019

2度目の景観審議会、屋外広告物審議会を経て、5カ所の巨大壁画、屋内通路の壁画、橋梁へのアート写真を掲出する天王洲アートフェスティバルが2019年2月、無事に開催されました。このイベントはARYZ(スペイン)、Lucas Dupuy(イギリス)、Rafael Sliks(ブラジル)という国際色豊かなアーティストに加え、国内からは著名な淺井裕介、DIEGO、松下徹らが参加し「水辺と出会う日本文化とアート」を具現化した、アートの街・天王洲を発信した意味のあるものだったと思います。複数箇所で実施した場合の効果検証も行われ、当初慎重な意見であった人たちからも概ね前向きな意見が得られ、今後の開催に大きな弾みがつきました。

『どこまでも繋がっていく』 淺井 裕介 / TENNOZ ART FESTIVAL 2019## 景観重点地区への指定

天王洲地区景観まちづくり研究会や住民説明会、パブリックコメントの募集を行い、各審議会、区議会での審議を経て、2019年9月に品川区景観計画(重点地区・天王洲地区)に指定されました。景観形成の目標が「まち全体がミュージアムのような天王洲ISLE」と定められ、アートを活用した街づくりを推進する地区として「天王洲地区景観まちづくりルール・アイディアブック」がまとめられました。重点地区指定を受けて、天王洲地区景観まちづくり研究会の後継となる天王洲デザイン会議が発足し、これまで巨大壁画制作の手続きの際は品川区景観審議会から東京都屋外広告物審議会と付議していたものが、天王洲デザイン会議から東京都屋外広告物審議会に変更になるなど、地域が掲出したいアートを地域が決められる体制に一歩近づきました。

『See a Song』 Keeenue / TENNOZ ART FESTIVAL 2020 photo by shin hamada## 天王洲アートフェスティバル2020

コロナの影響で2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会開催の1年延期が決まり、新作の掲出が時間的に可能になったことと、また当初は2020年7月で掲出期間が終わる予定であった「天王洲アートフェスティバル2019」の作品の期間延長という2つの観点で、景観重点地区指定後の初めての案件となる「天王洲アートフェスティバル2020」を計画しました。しかし、コロナの影響で海外アーティストの招聘が難しく、国内アーティストを中心に、4カ所の作品掲出を行いました。

『巡り循る』 吉野 もも / TENNOZ ART FESTIVAL 2020## 天王洲アートフェスティバル2021・2022

「天王洲アートフェスティバル2021」では、以前から課題であった作品決定プロセスの透明化に取り組み、地域の代表者で実行委員会を構成し、場所の選定、アーティスト選定、作品決定の各フェーズにおいて地域の意見を反映させながら実施できる体制を作りました。また、作品は壁画中心でしたが、立体作品も増やしたいとの意見も取り入れ、幅広いアート作品を公共空間に設置することになりました。

「天王洲アートフェスティバル2022」においては、初めてアーティストを一般公募し、美術大学の学生をはじめ、多くの方から応募いただきました。さらにアート専門家だけでなく、品川区を含め地域の方も加わった選考委員会を立ち上げるなど、より地域に根差すアートフェスティバルを目指して進化しています。

『This is Mr.Shirai』 COIN PARKING DELIVERY / TENNOZ ART FESTIVAL 2021

『purification』 佐藤 周作 / TENNOZ ART FESTIVAL 2022## 天王洲アートフェスティバルの開催費用

壁画制作にかかる費用は、アーティストに支払う費用、画材費用、足場費用、そして屋外広告料となっており、これまでの実施経費のほとんどが、助成金と特定企業の協賛金で賄われてきました。今後、持続可能な取り組みにしていくためには、街として費用を負担する仕組み、外部の協賛企業の募集、一部コンテンツの有料化、屋外広告料の免除など、自走できる仕組みの構築が必要です。

『Planters aquarium』 MISO / TENNOZ ART FESTIVAL 2022

金色のネコ フカザワ ユリコ / TENNOZ ART FESTIVAL 2022## さらなる発展を目指して

現在、壁画19作品、立体3作品が公共空間に設置され、これらを紹介するアートマップの整備、アートツアーの造成、アートグッズの開発などを行い、水辺とアートで人を呼び込む観光地としての整備にも取り組んでいます。日本各地でパブリックアートを用いた街づくり活動が活発になる中、ここ天王洲アイルでの取り組みは、重点地区指定、都市計画変更を伴い、当初考えていたよりもはるかに上回る多くの人々を巻き込み、大規模なものになりました。それゆえにほかにはない大きな壁画のあるダイナミックな景観となっており、さまざまなメディアで取り上げられる機会が増えてきています。アートを見る目的で街を訪れる人も増えてきており、これからは世界中から観光客が訪れて楽しんでもらえるように、街の環境整備もエリアマネジメントと連携し進めていきたいと思っています。アートで街を活性化させる、まだ道半ばですが、さらなる発展を目指して、これからも活動していきたいと思います。

寄稿者 和田本聡(わだもと・そう)㈱トミデン代表取締役/(一社)天王洲・キャナルサイド活性化協会 エグゼクティブプロデューサー

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