車いすラグビー日本代表の若山英史がパリパラリンピックで成し遂げたいこと【パリへの誓い】

パリオリンピック・パラリンピックまでおよそ1年。注目の静岡県勢を紹介します。今回は車いすラグビー。パラリンピックで2大会連続銅メダルに輝いた沼津市出身の若山英史(わかやま・ひでふみ)選手です。若山選手のパリへの誓いとは?

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<記者>「この車いすラグビー、一言で言うとどんなスポーツですか」

<若山選手>「野蛮です」

「マーダーボール(殺人球技)」と呼ばれていた車いすラグビー。パラ競技で唯一、車いす同士のぶつかり合いが認められているスポーツで、パンクも日常茶飯事です。

コートはバスケットボールと同じ広さ。試合は4対4で行われ、前方へのパスが許されています。ボールを持った選手が相手側のエンドラインを越えるか、2つの車輪を乗せることで「トライ」となります。

若山選手は38歳。リオデジャネイロ、東京とパラリンピック2大会連続で銅メダルを獲得しました。日本はパリへの出場枠も獲得済みで、若山選手は自身4度目となる代表入りを目指し日々トレーニングを積んでいます。

<若山選手>「守備を担うポジションなので、守備の予測が大切になります。相手のコースに入り込んで相手の進路を防ぐのが仕事。ディフェンスのときはそこを見てほしいし、オフェンスのときはスペースに走り出してロングパスを受けてスコアするところも見てもらえたら」

類まれな戦術眼が若山選手の武器です。

<小川仁士選手>「(若山選手は)後ろから声を出して『仁士行くぞ、詰めるぞ』って声を一番出してくれる。その声に頼って僕はプレーをしています。頼れる兄貴分?もちろんです」

人望も厚い若山選手。19歳のとき、プールの事故で首の骨を骨折、歩けない体になりました。

<若山選手>「胸の下からは基本的な感覚はなく動かすこともできません。手の握力もない。それでも今こうして車いすラグビーと出合い、この体にならなければ出会わなかったような人たちと出会えて楽しい人生を送れているので、(ケガを)後悔していないとは言わないですけど、それでもめちゃくちゃ楽しいですと自信を持って言えます」

そんな若山選手のパリへの誓いとは? 若山選手がフリップに書いた言葉は「最高」の2文字でした。

<若山選手>「パリで一番高い表彰台で最も高いという意味もありますし、チーム競技なので最高のチームを(作りたい)、僕もこの言葉がすごく好きなので最高という言葉を選ばせてもらいました」

パリで、最高の仲間たちと、最も高いところを目指します。

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