ヴィッセル神戸に加入した元スペイン代表MFフアン・マタが背負う背番号はガラタサライ時代と同じ64番に決まった。
昨夏、彼は「昨年(2021年)、母が亡くなった。64歳だった。ずっと一緒だと感じたかったんだ。父が生まれたのも1964年。だから、64番を選んだ」とその理由を説明している。
ここでは、マタと同じように家族思いな背番号をつけた選手を取り上げてみる。
フィル・フォーデン
ジョゼップ・グアルディオラ監督からも天才と評されたイングランド代表レフティ。
マンチェスター・シティでは80番でトップデビューした後、2年目から47番をつけ続けている。
シティで10番を背負っていたセルヒオ・アグエロが2021年に退団した際、10番への変更を打診されたが辞退。
「それについては考えなかった。10番はこのクラブにとって大きな番号だけど、僕は47番にしたい。自分のレガシーを創りたいし、この番号を変えたくない」と説明している。
フォーデンが47番をつける理由は、祖父ロニーさんが47歳で亡くなったためだとされている。
カイ・ハヴァーツ
今年、冨安健洋が所属するアーセナルに加入したドイツ代表。
レヴァークーゼン、チェルシー、そして、アーセナルで一貫して背番号29を愛用しているが、本人はその理由をこう語っている。
「幼い頃、兄と一緒によくFIFAやPES(海外版ウイイレ)をプレイしていたんだ。
いつも僕たちはゲーム上で自分たちを作っていてね。兄は常に29番を自分につけていた。
僕がプロになった時、レヴァークーゼンで何番がいいかと聞かれたんだ。
29番が空いていると言われたので、兄のためにそれにしますと伝えた。
幸運な時もそうでない時もあるけれど、この番号が好きなんだ」
兄との思い出があるため、29番を着けているとのこと。
フランク・ケシエ
この夏にバルセロナからサウジアラビアのアル・アハリに移籍したコートジボワール代表MF。
彼はアタランタ時代から19番に愛着を抱いてきたが、その理由は、11歳の時に亡くなった父の月命日が19日のため。
ミランでは同じく19番を好むレオナルド・ボヌッチにその番号を譲って79番を着用。ボヌッチ退団後に19番への変更を打診されるが、「僕のユニフォームを買ってくれた人達にさらなる出費させたくない」としてそれを断った。
その後、バルサでは19番を背負ったが、アル・アハリでは19番の選手がいたために、再び79番を選んだ。
アレッサンドロ・バストーニ
この夏にインテルの一員として来日したイタリア代表DF。190cmの体躯を持ちながら、左足の技術にも優れ、市場価値は6000万ユーロ(94.6億円)にもなる。
彼がアタランタとパルマ、そして、インテルで95番をつけ続けている理由は兄弟愛。
「アタランタのトップチームに初めて招集された時から始まった簡単な話さ。
兄と約束したんだ。僕ら5人家族はとても仲良しで、僕は兄の誕生年である95番を背負うと。
だから、パルマでもインテルでも同じことをした。自分と一緒に彼をピッチに連れていく方法さ。家族全員もね」
1995年生まれの兄を思いこの番号をつけているとのこと。ちなみに、代表では23番。
ロナウジーニョ
10番を背負ったバルセロナで世界の頂点に君臨した元ブラジル代表FW。
アトレチコ・ミネイロとケレタロでは49番を着用したのは、1949年生まれの母ミゲリーナさんへの敬意から。
2012年にアトレチコ・ミネイロに加入した際、ロナウジーニョは「これは母の生まれた年。彼女は難しい手術を受けたばかりだけど回復しているよ」と母への思いを話していた(その後、ミゲリーナさんは2021年に死去)。
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このほか、デンマーク代表FWニクラス・ベントナーはヴォルフスブルクで謎の背番号3をつけたが、「母が背番号を選んでくれたんだ。母はそれが正しい番号だと思った」というのが理由。
また、家族ではないが、セルヒオ・ラモスは、22歳の若さで亡くなったセビージャ時代の同僚アントニオ・プエルタがスペイン代表でつけた15番をその後もずっと代表で背負い続けた。