『ホンダNSX(1998年編)』全面改良の98年型が見せた連続ポール&4連勝の衝撃【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1998年、全日本GT選手権のGT500クラスを戦った『ホンダNSX』です。

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 全日本GT選手権(JGTC)のシリーズ開始初年度から参戦していた『ニッサン・スカイラインGT-R』や『トヨタ・スープラ』から遅れること3年。1997年よりエンジンを無限、車体を童夢が開発する無限×童夢プロジェクトを組み、それをホンダが支援するという体制でJGTCへの参戦を本格的にスタートした、それが『ホンダNSX』だ。

 初年度は、駆動系に問題を抱えつつも徐々に本領を発揮し始め、最終戦ではフロントローを独占。表彰台を獲得するほどの速さを見せてシーズンを終えていた。翌1998年に向けて『NSX』は、さらなる速さを求めて全面的にマシンを見直した。

 まず『NSX』の強みであった空力は、風洞実験を繰り返してフロント&リヤオーバーハング部底面のデザインなどを改良し、前年型に比べダウンフォースを最大20%も増していた。

 またボディもフレームやロールケージが新規にデザインされ、車体剛性のアップはもちろん、課題とされていた整備性の向上も図られた。これに加えて、シートポジションが30mm以上も低められて、ドライバーがより車体の姿勢を感じ取りやすくなる効果も生んでいた。

 そのボディに搭載するエンジンは、内部を一新したことでパワーアップを果たし、さらにマウントの方法も見直しが行われていた。これでエンジンの搭載位置を低めて、前進させることに成功していた。

 このようにエンジン、車体の両面で大幅に進化した1998年モデルの『NSX』は、シーズン序盤からいきなり本領を発揮していく。鈴鹿サーキットで開催された開幕戦では同じ『NSX』陣営ながら、1997年型を使うRAYBRIG NSXにポールポジションを奪われてしまったが、決勝では予選2番手からスタートした1998年型を使うMobil 1 NSXが2位表彰台を獲得。

 好調な滑り出しを見せると全車が1998年モデルとなった第2戦富士スピードウェイからは、Mobil 1、Castrol無限NSX、RAYBRIG、Castrol、RAYBRIG、Castrolと結局、シーズン最終戦まで全戦で『NSX』がポールポジションを獲る速さを見せた。

 また決勝でも開幕戦、第3戦仙台ハイランドではペンズオイル・ニスモGT-Rに勝利を奪われてしまったものの(第2戦富士スピードウェイは決勝レース中止)、第4戦富士スピードウェイでMobil 1がNSX勢の初優勝を達成すると、第5戦からCastrol、RAYBRIG、CastrolとNSXが4連勝を記録していた(オールスター戦もMobil 1が制しているのでそれを含めると5連勝)。

 これだけの速さ、強さを見せた『NSX』だったが、シリーズで安定してポイントを獲得できたチームがおらず。タイトルをニッサン勢のペンズオイル・ニスモGT-Rに奪われてしまう結果となってしまった。

 速さの面ではもう“無敵”とも思える性能を発揮するようになった『NSX』。しかし、その速さがチャンピオン奪取に結びつくのは、もう少し先のこととなる。

1998年の全日本GT選手権第4戦富士を制したMobil 1 NSX。山西康司、トム・コロネルがステアリングを握った。
1998年の全日本GT選手権第6戦MINEを制したRAYBRIG NSX。高橋国光と飯田章がドライブした。
1998年の全日本GT選手権を戦ったTAKATA童夢無限NSX。金石勝智、山本勝巳(第6戦MINEからは脇阪寿一)がドライブした。

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