元非行少年、24歳雄貴の「更生」 生まれてすぐ両親とも逮捕、施設にも学校にも居場所なく

ボクサーを目指していた時期もあった雄貴。仕事中に大けがをして諦めた=8月、九州

### ■施設にも学校にも居場所なく

 彼は、四国の海沿いにある町で生まれた。10代は非行に明け暮れ、長く少年院を出入りした。立ち直りを重んじる少年法を考慮し、雄貴と仮名で記す。雄貴は24歳。関西で1人暮らしだが、今は仕事で九州に長期出張中だ。故郷には戻っていない。彼の半生に耳を傾けると、一筋縄ではいかない環境と、更生への道のりの険しさが浮かび上がる。

 母が違う姉と、父が違う妹が2人います。親と生活したことはほとんどありません。祖父は暴力団組長、おやじは暴力団の幹部を一時やっていました。僕が生まれてすぐ、おやじとおかんが覚醒剤で捕まって。乳児院や養護施設などに15年くらいおりました。

 がっしりした体格は威圧感がある一方、語り口は柔らかくて丁寧、人懐っこい。

 おやじは刑務所から帰ってくるたび部屋を借りていました。だから「実家」というのが、僕にはなくて。おかんは、僕が生まれた後、おやじと離婚したみたい。別の人と再婚したのがいつか分からないですけど、そこで妹が生まれました。でも、おかんは僕が小学5年生ぐらいでまた離婚したんです。

 姉も施設育ちだったが、刑務所を出所した父親に引き取られ、雄貴だけが施設に残された。家族関係は複雑だ。

 小学校は5年生ぐらいからまともに行っていません。行ったとしても、給食を食べたら中学生たちが迎えに来て、そのまま夜な夜な遊びました。それで養護施設じゃ面倒を見切られんとなって、中学1年で児童自立支援施設に移ったんです。その頃、おやじは懲役に行っていて、お姉ちゃんも少年院でした。

 友達は多かったが、次第に離れていったという。

 僕の名字は、親の世代ならみんな知っていますしね。仲良く遊んどった友達が、急に「雄貴とは遊ぶな」ってお父ちゃんやお母ちゃんに言われたって。学校に居場所があれへんし、おやじには理不尽な理由でしょっちゅう殴られていたから、「悪さ」している子とつながっていったんです。 最初に警察沙汰になったのは、小学4年生の時やったと思います。駄菓子屋でおつかいのふりしてたばこを買って、体育館の裏で吸うてたんですけど、その日は友達にも吸わしとったら、それが見つかって。

 問題行動を繰り返し、特に課題の多い少年が集められる国立武蔵野学院(さいたま市)に移されたのは、中学2年の1月だった。

 人生どうでもええわ、と。とにかく大人に対して不信感が強かったです。「おまえら大人は俺の敵や。俺は一切心開けへんから、一歩でも土足で踏み込んできたらどつきまわすぞ」というふうなスタイルを取っていましたね。施設でもよく先生にしばかれました。グーで殴られたり、物で殴られたり。門限過ぎて帰ったら、飯もほかされてました。 やくざになろうと思いました。この道しかないやろ、って思ったんですよね。

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 赤ん坊からの犯罪者はいない。立ち直りを重視する少年法は、第1条で「性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行う」と定める。一方で、犯罪の被害に加害者の年齢は関係がない。相次ぐ凶悪重大事件を受け、少年司法は成人同様に刑罰を科す方向に向かう。昨年4月に改正施行された少年法をテーマにした長期連載「成人未満」第5部は、元非行少年たちに会い、それぞれの「更生」を考える。(霍見真一郎)

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