負債は一時131億円でも「自分は幸運」 酪農や豆相場で失敗…95歳のもやし会社会長、波乱の人生を漫画に

漫画の自叙伝を自費出版した小西逸郎さん=小野市

 兵庫県小野市のもやし製造会社「アサヒ食品工業」会長の小西逸郎(いつろう)さん(95)が、漫画で自叙伝を自費出版した。「行く青春や昭和は遠く星になるまで」というタイトルで、A4判50ページ。タマネギ栽培や酪農、マダガスカルでの豆栽培に挑んだが、いずれも失敗。131億円もの借金を抱えたこともあったという。山あり谷ありの痛快な人生が、漫画ならではの柔らかな表現で描かれている。小西さんの歩みを、作品に沿ってたどると-。(坂本 勝)

 波瀾(はらん)万丈の人生を過ごした小西さん。「いつかは自叙伝を」と思う一方、「長々とした文章では誰も読まない。楽しめる漫画で」と考えた。

 制作は友人、沢正樹さん(85)=神戸市垂水区=の娘七緒子さん(47)に頼んだ。七緒子さんは普段、パソコンのサポートをしており、漫画制作は初めてだったが、快諾。半年間、小西さんの元を何度も尋ね、聞き取った話を漫画にした。

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 小西さんは徳島県出身。太平洋戦争末期、18歳の時に召集令状が届き、2等兵として約2週間、訓練を受けた。右肩が悪いため懸垂ができず、訓練で手りゅう弾を投げても全然飛ばなかった。終戦を迎え、戦地に赴くことはなかった。1946年、妻千鶴子さんと結婚。2男1女を授かった。

 戦後、農業の時代が始まると聞いてタマネギの栽培を始めた。「設備投資に出し惜しみしない」主義で業務用の大型冷蔵庫も買った。新年用に大量保管したが、売れずに大赤字に。漫画では「大豊作やった」「冷蔵庫買っといて正解やった!」と大喜びするコマの直後に「タマネギは正月野菜じゃなかった」「大赤字-完-」と暗転するシーンとして描かれた。

 今度は酪農家を目指したが、抽選で得られたのは乳の出ない牛ばかり。長男には獣医師になるよう勧めたが、酪農は諦め、牛を売って家を建てた。漫画には「酪農家辞めるわ。すまんな」という小西さんに「僕、獣医師の勉強中やのに? すまんですむか…」とあきれる長男も登場する。

 伯父兄弟を頼り、37歳で神戸市へ。もやし工場を始めるため、明石の県立農業試験場に当時、勤めていた沢正樹さんと泊まり込み、栽培方法を研究した。

 伊丹市に念願のもやし工場を完成させ、大型発芽槽で大量のもやしを作った。だが排熱が難しく、次々と腐る事態に。一度腐敗すると次に仕込んだもやしも腐り、もやしは全滅した。工場が軌道に乗るまで2年を費やしたという。

 伯父兄弟が相次いで亡くなり、人生の岐路に立った。親会社の出資を得て、大阪府枚方市にもやし工場を建てた。豆の貿易をする関連会社と工場の社長業を兼任、マダガスカルで豆栽培を始めた。しかし関連会社が小豆相場で大損失を出し、マダガスカルの会社も倒産。負債は131億円に達したが、親会社の理解を得て窮地を抜け出したという。

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 70歳で、アサヒ食品工業の社長を次男に継承した。自身は、期限切れ間近のためスーパーから毎日、大量に返品されるもやしを餌に、ダチョウの飼育を始めた。肥料にもして、柿の木約千本を育てる。父を早くに亡くし、苦労して育ててくれた母に感謝する日々だ。

 「繁栄と転落を繰り返す人生だったが、百歳を目前に元気でいられる自分は幸運の持ち主。母の望んだ『一生の友、自慢できる友』に出会うことができた」

 自叙伝には、そうつづった。

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