公明党と「全面対決」する日本維新の会、3回目の「大阪都構想」挑戦はあり得るのか 組織運営は「カリスマ頼み」から「何でも直球勝負」へ

握手を交わす大阪維新の会代表の松井一郎大阪市長(左から2人目、肩書はいずれも当時)と、公明党大阪府本部前代表の佐藤茂樹衆院議員(右から2人目)=2019年5月、大阪市

 日本維新の会が次期衆院選に向けて、公明党と関西で全面対決する準備を整えた。これまでは公明党の現職がいる大阪、兵庫両府県の計6小選挙区に候補者擁立を見送ってきたが、方針を転換し、対立候補として新人6人を立てると決めた。本拠地・大阪の4選挙区では選考に「予備選」を導入。その目的は意思決定過程を透明化して、党内に不満をため込まないようにすることだ。創業者として、強力なリーダーシップで党の意見をまとめてきた松井一郎前代表が今年4月に政界を引退し、従来の「カリスマ頼み」の組織運営からの脱却を模索する姿が垣間見える。
 これまで公明党に一定程度配慮してきたのは、大阪市を廃止して特別区を置く「大阪都構想」の実現への協力を引き出すためだった。導入の是非を決める住民投票の実施には賛同を得たものの、結果は2回とも大阪市民によって否決された。それでもなお、維新共同代表の吉村洋文大阪府知事は「看板は降ろしていない」と強調する。公明との対決姿勢に転じた中でも「3回目」への挑戦はあり得るのか。取材を進めると、その動向は「吉村知事次第だ」という声も聞こえてきた。(共同通信=木村直登)

菅官房長官(中央、肩書は当時)の視察に同行する、左端から吉村大阪府知事、松井大阪市長(当時)=2019年6月、大阪市

 ▽地元が抑えられない
6月25日。大阪市中央区の日本維新の会本部では常任役員会が開かれていた。終わって出てきた馬場伸幸代表は、記者団に公明党との全面対決を宣言した。「党の方針は決めた。公明党と協議することはない」。新たに候補者を擁立するのは大阪3、5、6、16区と兵庫2、8区。いずれも公明党にとっては「常勝関西」の象徴ともいえる衆院小選挙区。維新は前身の政党時代を含めて一度も候補者を擁立したことがなかった。
 大阪市長だった松井一郎氏が率いた間、維新は大阪市議会で過半数に届かなかった。「大阪都構想」の是非を問う住民投票を実施するには大阪府議会、大阪市議会両方で過半数の賛成が必要で、このためには他会派を取り込む必要があった。衆院選で公明党の現職がいる選挙区への進出をちらつかせつつも踏み込まなかったのは、協力を引き出す駆け引き材料という意味合いが強かったためだ。
 松井氏は古巣である自民党の幹部や、長く官房長官を務めた菅義偉前首相ら官邸中枢との間に築いた個人的な親交を政策の推進力に変え、2025年大阪・関西万博や、カジノを中心とする統合型リゾート施設(IR)の大阪誘致に道筋を付けてきた。松井氏の判断は維新の政治力と直結していただけに、大阪府議はその影響力をこう分析していた。「誰も逆らえない」。松井氏自身も昨年9月、共同通信のインタビューで自ら認めている。「僕はどちらかと言うとトップダウンで、ある意味、強引に進めてしまう」
 ただ、当時から「選択肢を示すべきだ」という主戦論は党内に根強く、松井氏の引退後も公明党への「配慮」を同じように続けた場合は「地元を抑えられなくなる」(党幹部)という懸念があった。

 ▽「何でも直球勝負」へ
 方向を決定付けたのは、今年4月の統一地方選だ。維新の母体である、政治団体・大阪維新の会は知事選、大阪市長選、府議選、大阪市議選で大勝し、市議会では初めて過半数に到達。府議会、市議会両方で過半数を得たため、他党の協力がなくても住民投票の実施を議決できる力を握った。大阪維新幹部はここが分岐点だったと語る。「これで公明党に選挙区を譲る大義名分はなくなった」。公明党サイドでは、東京で日本維新の会に組織票を回す代わりに、関西6選挙区の一部で維新に擁立を見送ってもらう策も浮上したが、松井一郎氏という交渉窓口を欠く維新にこうした提案を受け入れる素地はなくなっていた。
 選挙を重ねるごとに組織が拡大し、300人以上が所属する本拠地の大阪では、国政進出をもくろむ地方議員も多い。2021年衆院選で各党が獲得した比例票を基に今回、対象となる大阪4選挙区を見ると、公明党が2万~3万票台なのに対し、維新はその倍以上。公明党が支援を期待する自民党の比例票を合わせてもなお、維新には届かない。4選挙区は維新の候補者にとって、選挙戦を有利に運べる可能性が高いことを意味する。組織内では「プラチナチケット」とも呼ばれるだけに、現執行部が一方的に候補者を選べば「選考がブラックボックスだ」と反発が起きるのは必至だった。
 維新は結局、7~8月に各選挙区内の一般党員らを有権者とする予備選を実施し、現職参院議員2人、地方議員2人を新たに立候補予定者に決めた。大阪のまとめ役を松井氏から引き継いだ吉村洋文知事は「選考の透明性が高く、公平、公正だ」と意義を強調し、自身や馬場伸幸代表の一存で決めたのとは違うと力説した。一方で、あるベテラン議員は現状について異なる見方を披露する。「松井氏のような『寝業』が使えなくなった」。政治力のあるリーダーが十分な根回しによって異論を封じ、意中の人物を候補者に決めるような手法が採れず、結果として選択肢が「予備選しかなかった」というのが実情だった、ともいえる。
 今後の党運営について、維新のある幹部はこう見通す。「しゃくし定規になるかもしれないが、何でも直球勝負で物事を決めていくしかない」

大阪府知事選で再選を果たし、記者会見する吉村洋文知事=4月、大阪府庁

 ▽勝因は「相手の自責点」
 大阪都構想が三たび注目されるようになったきっかけも、4月の統一地方選だ。
 4月9日の大阪府知事選で再選を果たした、日本維新の会の吉村洋文共同代表。翌10日の記者会見で、看板政策「大阪都構想」への3度目の挑戦にさっそく含みを持たせた。「都構想の看板は下ろしていない。任期の4年間で何が起きるかは分からない」。選挙期間中、有権者からは3回目の住民投票を望む声が多数寄せられたとも語った。4月下旬には「前提条件」にも言及。3度目の住民投票を実施する場合は「何らかの民主的なプロセスが必要だ」という。真意はどこにあるのか。
 府知事選を含む今年4月の統一地方選で、維新は初めて公約に都構想を盛り込まなかった。2度目となった2020年11月の住民投票でも僅差で否決されたためだ。これまでの大阪の選挙では、都構想推進派の維新と、自民党を中心とする「大阪市存続派」の舌戦が論戦の中心となり、高い関心を集めてきた。今回の選挙戦は、吉村氏の対抗馬を巡る対応で自民党が迷走するなど、他陣営の混乱が目立った。維新は各種選挙で大勝したものの「相手の自責点」(府議)という評価も根強い。
 維新内部では4年後の次回統一選を見据えた次のような意見が既に上がっている。「議論を主導できる争点が必要だ。そうなると都構想しかない」。4年後も自責点で勝てる保証はどこにもないためだ。

「大阪都構想」が住民投票で再び否決され、記者会見する大阪維新の会代表の松井一郎大阪市長(右、肩書は当時)と吉村洋文大阪府知事=2020年11月、大阪市

 ▽二つのルート
 ただ、大阪都構想の議論再開に向けた動きは不透明だ。理由の一つは、日本維新の会の組織内で具体的な制度設計について意見が割れている点がある。特に住民投票の実施範囲について「大阪市のみ」とするべきか、「大阪府全域」とするべきかで、大きく二つの主張が存在しているのだ。
 2015年と2020年の住民投票は、いずれも大阪市の有権者を対象に行われた。3回目を実施する場合に範囲を大阪府全域に広げれば、「大阪市の廃止」というメッセージに抵抗感を覚える大阪市民の比重が相対的に下がり、賛成多数につながりやすいと言われている。裏を返すと、3回目も大阪市のみで実施すべきとの意見には、こんな懸念が背景にある、と維新の幹部は明かす。「仮に投票範囲を広げれば、都合の良いようにゴールポストを動かしたと批判されかねない」
 一方、大阪府全域を対象にするべきだ、という意見の根拠はこうだ。「過去2回負けているのだから、同じ論法で民意を問う理屈が立たない」。ところが、投票範囲を広げるには根拠となる大都市地域特別区設置法の改正が必要になる。次期衆院選で野党第1党となり、今後3回以内の衆院選の間に政権を獲得する、というのが日本維新の会の計画だが、現状では維新に単独で法改正を実現する勢力はない。公明党との対決姿勢を鮮明にした中で、思い描くような道を進むためのハードルは相当に高い。ベテラン議員は指摘する。「今の維新の実力では住民投票の実現までに何年かかるか分からない」

2025年大阪・関西万博の公式ショップ1号店がオープンし、「ミャクミャク」と記念写真に納まる大阪府の吉村洋文知事=9月6日、大阪市

 ▽「吉村知事がやると言えば…」
 大阪都構想を巡っては、もう一つ大きなジレンマがある。日本維新の会の看板である吉村洋文共同代表の発言だ。大阪維新の会代表も務める吉村氏は、2020年の住民投票で「敗北」した後に「僕自身が都構想に挑戦することはもうない」と宣言した。今年4月の記者会見で3回目に含みを持たせる発言を繰り返した時も「当時の発言は撤回していない」と強調した。都構想に向けた議論を再始動させる場合、発言の整合性を付ける必要がある。
 今年4月の知事選で、吉村氏は主要公約に「2025年大阪・関西万博の成功」と「教育無償化」を掲げた。万博は予定通りの開催なら2025年10月に閉幕し、教育無償化の中核となる「私立校も含めた高校授業料の完全無償化」は2026年度に全学年で実現する見通しだ。いずれも現任期の2027年4月までに達成されることとなり、吉村氏にとっては政治家としての大きな区切りを迎えることになる。かねて吉村氏はこう語っている。「政治家は公約の実現に向けて全力を尽くし、走れるところまで走ったら屍だ。その屍を次のメンバーが乗り越えていくことで社会が良くなればいい」。8月下旬には記者団に「屍になったら僕は自由奔放に生きていきたい」とも漏らした。
 3回目の都構想が動き出した時、そこに吉村氏の姿があるのかどうかは未知数だ。ただ、過去2回の住民投票でも主軸として活動し、思い入れも強い吉村氏が、少なくともその道筋を付ける役割を担っていると見る関係者は多い。ある幹部はこう断言する。「吉村氏がやると言えばやる心構えはできている。あとは吉村氏次第だ」

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