「タブーの水俣病」京都の女性が訴え 父は元チッソ社員、「一生治らない」賠償求め27日に判決

大阪地裁前で、判決に込める願いをマイクから訴える原告の女性(6月27日、大阪市北区)

 熊本県の不知火海(八代海)沿岸出身で、19歳から京都市で暮らす女性(63)らが、水俣病を患ったとして国と同県、原因企業チッソを相手に損害賠償を求めた集団訴訟の判決が27日、大阪地裁で言い渡される。「公害の原点」と言われる水俣病の公式確認から67年が経過する中、女性は「問題は解決していない。国も裁判所も、私たちの言葉をしっかり聞いてほしい」と願う。

 水俣病の幅広い救済をうたった2009年成立の特措法でも居住地域や出生年が限定され、対象から漏れたと訴える人たちが、最終手段として司法に望みを託した裁判だ。同種訴訟は全国4地裁に係争中で、判決は今回の大阪地裁が初めてとなる。

 女性によると、手足がしびれ、味や熱さを感じにくい。全身性感覚障害があり、視野狭窄(きょうさく)やこむら返りに悩まされている。

 京都市内で働き始めてほどなく結婚し、子育てしながら従事した内職では、指先の感覚が鈍くて出来高は悪かった。50代で介護施設に勤務して調理を担当したが、味付けが不評で自信を失い、つらくなって退職した。

 「自分はどんくさい、と思わされてきた。自分を変えたかった」

 病院を受診して不調を訴えても長年、「自律神経失調症」と言われてきた、という。14年に民間の集団検診で水俣病と診断された。苦しんできた症状に、はっきりとした名前がようやく付いた。「一生治らない。もう、あとは気力。この先どうなっていくんだろう」と不安に駆られた。

 だが、行政は女性を水俣病の被害者と認めていない。原因物質のメチル水銀に、通常以上にはさらされていなかった、と判断されたのだ。一時金や医療費などを支給する特措法の救済制度から外された。

 女性は、天草諸島の一つである下島に生まれた。眼下に不知火海が広がり、半農半漁の祖父が釣ったイカやサバ、アジやカサゴが常に食卓に並んだ。

 約20キロ離れた対岸には、メチル水銀を垂れ流したチッソ水俣工場(熊本県水俣市)があったが、身近に激しい症状が現れる患者はおらず、女性にとって水俣病は「教科書で習ったことがあるくらい」の認識だった。

 「水俣病は『禁句』だった」と女性は振り返る。理由は父の存在だ。独身時代の父は、チッソの社員だった。結婚後は病弱になったが、幼かった女性を膝に乗せて「父ちゃんは、わっか頃、水俣工場で働いて、電気自動車に乗っていた」と誇らしげに語っていたという。

 水俣病について、女性の脳裏には劇症型のイメージが焼き付いているという。京都で暮らし続ける中、偏見が怖くて職場や友人だけでなく、家族にも隠し続けている。

 女性は14年に提訴した。きっかけは、天草諸島に暮らす姉(66)がつくった。姉が中学を卒業して関西で暮らすようになるまで、実家で同居していた。

 姉は水俣病と認定され、10年から特措法の救済対象になっていた。当時、京都で既に症状が現れていた女性に、救済を申請するよう電話で何度も説得した。姉の後押しで女性は申請したものの、国は水俣病被害者と認めなかった。

 同じ食卓を囲んだ姉妹を何が分け隔てるのか。思い当たることは一つだけだった。母は天草諸島の別の島へ帰郷して姉を産んでいた。そこは、後に特措法が指定する救済の対象地域内。出生を証明する書面に住所が記録されていたという。片や、女性の出生地は対象地域の外。その線引きは、姉妹にとって余りに理不尽だった。

 「不合理な線引きで多数の被害者が切り捨てられた」と、女性が加わった原告団は訴えている。

 原告団は総勢128人。京都府の4人、滋賀県の2人を含め、大半が近畿在住者だ。いずれもメチル水銀が流れ込んだ不知火海周辺の出身で、汚染された魚介類を食べて育った結果、水俣病になったと主張し、1人当たり450万円を請求している。

 原告団の中には、故郷の親族から救済制度の創設を知らされず、申請が間に合わなかった人もいる、という。女性は「バトンをつないでくれた」と姉への感謝を口にする。しかし、姉の思いは晴れない。

 「私だけ守られていていいのか。妹には、いつも『ごめんね』と思う。この判決で終わりにできたら」

 8月中旬の午後、女性は不知火海の上にいた。患者会や支援団体が、原告らに懸案の地を見てもらおうと旅客船をチャーターした。

 女性は故郷の島を遠目に、水俣の方角の水平線から浮かんでくる朝日を思い浮かべた。一番好きな風景だという。

 そして、島が救済の境界線で分断された現場を、スマートフォンで何度も撮影した。「海に線なんて引けるはずがない」。船を下りた女性の声に、力がこもった。

 

■水俣病と特措法■

 水俣病は1956年に公式確認された。脳や神経の細胞を壊すメチル水銀を、化学工業メーカー「チッソ」が海へ排出したことが原因だ。メチル水銀を蓄積した魚介類を食べた人が発症した。度重なる訴訟を経ても、新たな救済策が必要となり、2009年に水俣病特措法が成立した。被害救済の対象地域を国と県が線引きした上で、一時金210万円や医療費が無料となる被害者手帳が交付された。

大阪地裁前で、判決に込める願いをマイクから訴える原告の女性(6月27日、大阪市北区)
不知火海を見つめる原告の女性(8月19日、熊本県)
熊本地裁の同種訴訟の結審を前に気勢を上げる原告たち。水俣病を巡る裁判闘争の関係者が全国から集まった(8月20日、熊本県津奈木町・つなぎ文化センター)
大阪地裁の判決を前に、原告団や弁護団が裁判の経過を振り返った集会(9月2日・大阪市中央区、エル・おおさか)
全国から集まった水俣病をめぐる裁判闘争の関係者に、判決を前にした思いを語る原告の女性(8月20日、熊本県津奈木町・つなぎ文化センター)
熊本地裁で係争中の同種訴訟で、関係者が結審を前に気勢を上げた。水俣病を巡る裁判闘争の原告や支援者が全国から集まった(8月20日、熊本県津奈木町・つなぎ文化センター)
月1回重ねてきた大阪地裁前の街頭宣伝。原告の女性がマイクを握り、判決への思いを訴えた(7月28日、大阪市北区)
判決に向け、裁判の経過を記したチラシを通行人に配る原告の女性(7月28日、大阪市北区・大阪地裁前)
判決に向け、裁判の経過を記したチラシを通行人に配る原告の女性(7月28日、大阪市北区・大阪地裁前)
月1回重ねてきた大阪地裁前の街頭宣伝。原告の女性がマイクを握り、判決への思いを訴えた(7月28日、大阪市北区)
原告の女性へ、特措法による救済制度への申請を説得した経過について説明する姉(8月20日、熊本県水俣市)
大潮の不知火海。波は穏やかだった(8月19日、熊本県)
大潮の不知火海。波は穏やかだった(8月19日、熊本県)
原告の女性の姉。特措法による救済制度に申請するよう説得した経過を振り返った(8月20日、熊本県水俣市)
※水俣病不知火患者会の資料を基に作成
大阪地裁の判決を前に、原告団や弁護団が裁判の経過を振り返った集会(9月2日・大阪市中央区、エル・おおさか)
不知火海上に引かれた救済対象地域の境界線を確認するため、船に乗り込む原告ら(8月19日・熊本県水俣市)
不知火海を見つめる原告の女性。「生きていくために魚を食べただけ。まさかそれで、水俣病にかかるなんて(8月19日、熊本県)

© 株式会社京都新聞社