『スカイラインターボC(1983年)』スーパーシルエットとは似て非なる赤/黒スカイライン【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、グループCカーの『スカイラインターボC』です。

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 赤/黒のツートンカラーを纏ったDR30型ニッサン・スカイラインのレーシングカーといえば、きっと1982年から日本のスーパーシルエットレースを戦っていた長谷見昌弘駆る“トミカスカイライン”が思い出されることだろう。しかし、赤/黒のDR30型スカイラインのレーシングカーはもう1台(正確には2台)存在していた。その1台が『スカイラインターボC』だ。

 前述のスーパーシルエットレースを戦っていたグループ5規定車両の『トミカスカイライン』は、ニッサンの通称「大森」と呼ばれる宣伝部隊が主体となって、ノバエンジニアリングと由良拓也率いるムーンクラフトに依頼して、制作された車両だった。

 一方で、今回紹介する『スカイラインターボC』は、通称「追浜」と称されるニッサンの車両実験部が主導して生まれたマシンであった。この『スカイラインターボC』の誕生より少し前、車両実験部がルマン商会の仲介で東京R&Dにマシン開発を打診。そして現地ディーラーの“依頼”という名目で、1982年11月に開催されるキャラミ9時間レースに参戦するため、グループ5仕様のスカイラインをまず制作した。

 このとき“大森”主導の『トミカスカイライン』はすでに存在していたが、それとは別に“追浜”と東京R&Dがグループ5スカイラインを作り上げたのである。この“追浜”のグループ5スカイラインは、『トミカスカイライン』よりもグループ5の規則を突き詰めて車両が作られており、トランスアクスル化が実施されていたほか、カーボン製のプロペラシャフトを使い、さらにサイドシル下部の改造で全高を低くするなどの設計がなされていた。

 このグループ5スカイラインはキャラミでのレースを終えたあと、日本国内に運ばれてグループCカーに改造された。そうして誕生したのが『スカイラインターボC』だった。

 グループ5スカイラインをCカー化するにあたり、Aピラーを寝かせてルーフを大きく下げたほか、リヤウイングを規定で許される限り広げた。シーズン途中にはサスペンションをダブルウイッシュボーン化したが、『スカイラインターボC』の基本構造はグループ5車を踏襲していた。

 そのため搭載するエンジンはLZ20B型の直4ターボのままで、しかも搭載位置もフロントのままだった。そう、『スカイラインターボC』は世にも珍しいフロントエンジンのグループCカーだったのだ。

『スカイラインターボC』は誕生後、1983年に5戦を戦い、予選最高位6位(決勝は全戦リタイア)という成績を残して、この年限りでこの車両は一線を退いている。そして、その『スカイラインターボC』という車名だけが1984年にも引き継がれたのだった。

長谷見昌弘と都平健二のドライブで1983年のWEC in JAPANを戦ったスカイラインターボCトミカ。

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