原発処理水に感じる“不安”の正体 「リスク」をめぐる対立はなぜ発生するのか?

廃炉作業が行われている福島第一原子力発電所(まさくん / PIXTA)

福島第一原子力発電所のトリチウムを含む処理水の海洋放出開始から1カ月が経った。処理水をめぐっては、政府や国際原子力機関(IAEA)などが「健康や環境に影響を及ぼすリスクは十分に低い」と説明する一方で、国内外の各地では影響を不安視する声があがっている。

心理学や行動経済学の分野では、このような“リスク認知のギャップ”を埋めるための情報のやり取りを「リスクコミュニケーション」と呼ぶというが、処理水に関するリスクコミュニケーションはあまりうまくいっていないようだ。

なぜ、このような“リスク認知のギャップ”が生まれるのか。リスクを感じる私たちの心の中で何が起きているのか…、安全に関係する人間の行動と心理について研究する「安全心理学」の専門家・島崎敢氏が解説する(全2回)。

「処理水を海に流す」という行為に対して、人によってリスクの感じ方が違っており、「リスクは許容範囲だ」と言う人と、「許容できない」という人の対立が起きている。実はこの対立は、いまに始まったことではない。

第二次大戦後、原子力の平和利用が始まると、人々は原子力のリスクに強い懸念を示した。一方、原子力の平和利用を進めたい科学者たちは、人々の懸念を「非合理的なもの」と考えていた。彼らは、原子力のリスクを正確に分析し、数字に変換して、他のリスクと比べて示すと共に、人々がリスクを正しく理解できるように教育すれば、人々の「非合理的な懸念」は消えるだろうと考えていた。

しかし、このような取り組みはことごとく失敗する。人々の心の中では、リスクは科学者が考えているような形では評価されていなかったのだ。

二つの思考回路

私たちの頭の中には、思考回路が二つあると考えられている。研究者によって呼び方は異なるが、ここではよく使われる「システム1」と「システム2」としておこう。

システム1は直感的、無意識的、高速で思考の労力が小さい。情報の内容を細かく評価することはなく、たとえば「テレビで言っているから本当だ」というように、誰が発信したかという周辺情報で情報の信ぴょう性を評価する。また、自分が感じている感情の影響も大きい。

システム2は理論的、意識的、低速で思考の労力が大きい。情報の内容を計算・比較・検証などして細かく検討し、感情とは切り離して評価する。

私たちはこの二つの回路を使い分け、重要な仕事や人生の重大な決定などにはシステム2を駆使するが、日常的なことのほとんどはシステム1で判断している。筆者も研究データを分析する時にはシステム2を使っているが、学食でA定食とB定食を選ぶ時にはシステム1を使っている。

システム1はシステム2よりも高速で、先に結論を出す。その上、システム2で考えると疲れるので、「これはしっかり考えなければいけない重大な問題だ」と思わない限り、システム1の直感に従ってしまう。また、重大な問題だと思っていたとしても、システム2を使うための前提知識や情報処理能力が不足していれば、システム1に頼らざるを得ない。つまり、システム1はシステム2よりも優位なのである。

処理水の影響の計算は超難題?

放射性物質が人体に与える影響を、システム2を使って計算して評価するには、かなり高度な前提知識や情報処理能力が必要だ。

処理水の放射能は、放射性物質が変化する回数を表す「ベクレル」という単位で公表されている。一方、健康リスクを考えるためには、放射線の人体への影響を表す「シーベルト」という単位に変換する必要がある。しかしこの変換は容易ではない。

1ベクレルの持つエネルギーは放射性物質によって異なるし、エネルギーが弱まるのにかかる時間も放射性物質ごとに違う。また、放射性物質が傍らにあるのか、吸い込むのか、経口摂取するのかによっても影響は異なるし、トリチウムが体内で水分子のままでいるか、体を構成する有機化合物の水素原子と置き換わるかによって、体外に排出されるまでの時間が異なる。年齢による影響の違いも考慮しなければならない。

さらに、公表されているのは放出時点での処理水のベクレル数なので、これが海の中でどのように広まったり薄まったりするのか、いつも海水浴に行く海ではどのくらいの濃度になっているのか、海産物経由で食べる量はどのくらいなのかも計算する必要がある。

ここまで調べて、筆者は処理水の影響をシステム2で評価するのを断念した。どうやらこの問題をシステム2で検討するには、筆者の前提知識や情報処理能力では足りないようだ。ともあれ、システム2で考えるには、ものすごく勉強が必要だということはわかった。これを万人に求めるのは不可能だろう。

答え合わせはできるけど、答えは本当に正しい?

さて、システム2での評価を放棄して検索してみると、専門家が計算した値が簡単に見つかる。

たとえば東京電力の処理水ポータルサイトには「国の規制基準は、放水口から出る水を、毎日2リットル飲み続けた場合、1年間で1ミリシーベルトの被ばくとなる(一部中略)」との記載がある(筆者注:実際に放出されている処理水は規制基準の1/40の濃度だと発表されている。年間1ミリシーベルト以下は被ばく量が比較的多い作業に従事する人の安全を確保するために採用された国際基準)。

また、経済産業省のホームページには「日頃から近海の魚を多く食べる場合を想定して人体への影響を評価したところ、日常受けている放射線(自然放射線)の約100万分の1から7万分の1と、影響が極めて小さいことが確認された(一部中略)」とある。

いずれも私たちの健康への影響は十分に小さいと読み取れるが、システム2での計算を断念した筆者には、この計算が正しいか確かめるすべがない。そこで考えるのが「この情報を発信している人たちは信頼できるのか」ということである。これはシステム1の思考パターンである。

「周辺情報」には疑心暗鬼になる条件がいっぱい?

システム1は処理水のリスクそのものを科学的に検証するのではなく、周辺にある情報を手がかりにして処理水のリスクイメージをざっくり捉えようとする。そして、処理水に関する周辺情報は、直感的に「怪しい」とか「心配だ」とか思わせる条件をいくつも兼ね備えているようだ。以下に、処理水の周辺の情報からシステム1で考えてしまいそうなことを書き出してみよう。

  • 処理水の置き場は限界に達していて、海に流さざるを得ないようだ。それしか選択肢がないのだから、都合の良いことを言って海に流すことを正当化しているのではないか。
  • 使われている単位は「兆」や「京」など途方もない大きい数字だ。だから環境や健康への影響も大きいのではないか。
  • 政府や東京電力は過去に一度失敗をしている。信用して大丈夫だろうか。何かあったら誰がどうやって責任を取るのだろうか。
  • 数値を示して定量的に説明しているが、とても難しくてよく理解できない。本当は難しいことを言ってけむに巻こうとしているのではないか。
  • 影響はほとんどないと強調しているが、時間がたってみないとわからない。リスクを認めようとせずに、私たちを何とかして説得しようとしていないだろうか。
  • 私たちは情報や知識をほとんど持っていないが、情報発信者はいろいろと知っているはずだ。彼らが悪意を持って隠したら、私たちにはそれを見抜くすべがない。

このように、情報の受け手がシステム1でリスクを捉えようとしていると、どれだけ科学的な情報発信をしたとしても、情報発信者が信頼されない限り、安心してもらえない。

その証拠に、処理水問題の当事者である政府や東京電力ではなく、第三者的な立場であるIAEAがお墨付きを出した方が安心するし、国家間の信頼関係を築けていない国の人ほど、処理水の海洋放出に批判的である。もちろん実際には政治的な思惑や利害関係などの事情も絡み合っているとは思うが、リスクコミュニケーションがうまくいかない原因は、私たちの心のしくみからもある程度説明できる。

必要なのは「変えられない特徴」を理解すること

冒頭で「システム1はシステム2よりも優位だ」と書いたが、筆者はどちらの思考回路で考えるべきだとか、どちらの思考回路が優れているとか言うつもりはない。「システム1で考えがち」なのは、良し悪しの問題ではなく、例えば「食べたら眠くなる」と同じように、変えられない人間の特徴である。

重要なのは、このような人間の思考の特徴を理解し、処理水の問題は多くの人にとってシステム2で評価するには難易度が高すぎること、システム1でリスクを捉える場合には、科学的な情報よりも信頼がモノを言うことを、情報の発信者と受け手の双方が意識しておくことなのかもしれない。

(後編に続く)

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