傷だらけのエース 「プロレスリングFTO」20周年の証明【大分県】 大分拠点の団体が記念デスマッチ

有刺鉄線電流爆破バットで攻撃されるスカルリーパー・エイジ=9月24日、大分市府内町のお部屋ラボ祝祭の広場
国東市出身の藤波辰爾(左)も熱戦を展開。70歳間近の今なお、堂々の肉体で観客を魅了するレジェンド
観客席に水をまき散らす大仁田厚
試合後、観客にマイクアピールするプロレスリングFTO代表のスカルリーパー・エイジ(左端)

 国内外のプロレスラー37人が出場、しかも観戦無料。日本最大と言っていいプロレスイベントが24日、大分市府内町のお部屋ラボ祝祭の広場であった。大会を手がけたのは大分市を拠点とするプロレスリングFTO。2004年に旗揚げして20年。これを記念する「ザ・ビッグショー」だ。会場を埋め尽くした観客がライブで激闘を目の当たりにした。

■藤波辰爾が堂々のリングイン

 全8試合。それぞれの試合にドラマがあったが、ここはダブルメインイベントの2試合を取り上げる。プロレスの興行は前座試合から始まり、徐々に格上のレスラーが登場する。クライマックスに近づくと「セミファイナル」があり、その日の最重要試合である「メインイベント」で締めくくるのが一般的。しかし、今回の大会はラスト2試合を同格と位置付け、最重要試合が二つある「ダブルメインイベント」として展開した。

 その第1弾では、国東市出身、炎の飛龍・藤波辰爾(豊の国かぼす特命大使)が6人タッグマッチ(3人対3人の対戦)に登場。同年代のレスラーが引退していく中、藤波は「生涯現役」を掲げており、70歳間近の今なお、仕上がった堂々の肉体。

 藤波がタッグを組んだのは、地方のインディ(独立系)プロレスのパイオニアで覆面議員のはしりでもあるザ・グレート・サスケと、王道の大巨人・石川修司。これに地元FTO勢の岡崎恭也、ホバーマン2号機、バトルシャークが60分1本勝負で挑んだ。

 藤波が花道を入場してくると、大きなうねりのような「ドラゴンコール」が巻き起こった。大分の英雄の人気はすさまじく、会場の熱気は一気に最高潮に。

 FTO勢はビッグネーム3人に胸を借りる形だが、臆することなく突っ込んでいく。ホバーマン2号機のドロップキック(両足での飛び蹴り)が藤波にヒット。バトルシャークとサスケの足や腕の取り合いはメキシコ系の攻防を見るかのような展開。岡崎は石川に果敢に挑み、ラリアット(走り込んで相手の首に上腕部をたたき込む技)で吹っ飛ばす局面も。藤波はバトルシャークに足四の字固めやドラゴンスリーパー(右腕を首に絡みつけて頸動脈を締めながら、左腕で相手の左腕を固めて動きを封じる藤波の必殺技)をお見舞い。

 めまぐるしい展開の中、石川が岡崎に高角度のバックドロップ(相手を後方に投げ、後頭部から落とす技)、そして強烈なニーリフト(振り上げた膝を相手のあごなどに打ち込む技)を食らわせた後、フラフラになった岡崎を抱え上げて脳天からマットに落とし、とどめを刺した。

■大仁田厚に有刺鉄線バットをフルスイング

 ダブルメインイベント第2弾は涙のカリスマ・大仁田厚が、インディ魂・佐野直、FTOの若手メジロ・キッドを率いて登場。迎え撃つのはFTO代表のスカルリーパー・エイジ、旗揚げ当初からの常連リッキー・フジ、怪奇派の怨霊の3人。強敵・大仁田のチームを倒し、20周年での華々しい勝利を飾りたいエイジらは、気合十分でリングに立った。

 試合形式は「スペシャル6人タッグストリートファイト/有刺鉄線ボード/有刺鉄線スパイダーネット/有刺鉄線テーブル/有刺鉄線電流爆破バットマッチ 時間無制限1本勝負」。混乱するほどいろいろな要素が盛り込まれた、とにかく、痛くて恐ろしい戦いだ。

 このような長い試合名は、とてもではないが文字数やスペースが限られた新聞紙面には書くことができない。インターネット記事(Gateオリジナル)だからこそ書けるというものだ。

 「有刺鉄線」や「電流爆破」は大仁田の代名詞ともいえる試合形式。かつて、ここからさまざまなデスマッチが派生していった。プロレスは幅が広く、奥が深い。「正解」というものは存在しない。いわゆるストロング・スタイルやアメリカン・スタイルだけがプロレスではなく、大仁田の邪道スタイルもプロレスである。

 この試合も、大仁田コール、そしてエイジコールが地響きのように湧き起こる。有刺鉄線が張り巡らされたリング、電流に反応する爆薬が仕込まれたバット。危険なムードが漂う中、ゴングが響いた。開始早々から両陣営とも大暴れ。有刺鉄線が取り付けられた板にエイジやリッキーが投げ飛ばされ、激痛に悶絶。動きが鈍ったエイジに佐野が有刺鉄線を巻きつけたバットを振り下ろし、1発目の爆発が起きた。火花と煙、すさまじい音、そして衝撃波で、エイジだけでなく近くにいたレスラーもマットに倒れ込んだ。観客席からは悲鳴が上がった。

 試合は大混戦の様相。再びエイジにバットが打ち込まれ、2発目の爆発。各選手がフラフラになる中、怨霊がダイビングフットスタンプ(高所から飛び降り、その勢いのまま相手の腹部などを両足で踏みつける技)でメジロのスタミナを奪う。

 息を吹き返したエイジは残る1本のバットを手にし、大仁田にフルスイングでブチ当てた。2発目までより火薬量が多いとみられ、観客の五臓六腑(ろっぷ)にも衝撃波が伝わるほどの大爆発が起きた。そして、もはや立ち上がるのもままならないメジロを引きずり起こしたエイジ。雪崩式ブレーンバスター(鉄柱があるコーナーで、ロープの2段目または3段目に登り、持ち上げた相手を後方に投げ、背面から落とす技)で、爆薬が仕掛けられた有刺鉄線ボードにメジロをたたき付けた。これもまた火薬量が多いとみられ、この日最大の大爆発。メジロはマットに沈んだ。

■エイジ「困難でもやってやるって」

 当初は「そんな大スケールの大会が本当にできるのか?」といった心配があった。しかし、旗揚げ20周年に何かすごいことをやりたいと、かねて思っていたエイジは「困難であればあるほどやってやろうってね。そういう状況に燃えてくるんです。大分に伝説をつくることができましたよ」。

 会場には佐藤樹一郎知事らもやって来て、ステージで20周年を祝福した。戦った大仁田も20年続くFTOに敬意を表した。大会終了後は、観客がエイジらを取り囲み、ザ・ビッグショーの成功をたたえた。「マット界の先輩や仲間たち、そして応援してくれているファン、支えてくれている人たちが一体となった大会。これが20周年の証しです」と、傷だらけで語ったエイジ。「度肝を抜く大会にする」。間違いなく、そう言っていた通りの一日となった。

 (文・下川宏樹、写真・仲道裕司)

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