「私たちの声届いた」原告勝訴の水俣病訴訟、家族にも病気隠してきた京都市の女性が喜びの涙

判決の報告集会で、支援者のスピーチに拍手を送る京都市の女性(手前)=27日午後、大阪市内

 水俣病の未認定患者救済のため2009年に施行された特別措置法に基づく救済策から漏れた128人が、国や原因企業チッソなどに損害賠償を求めた訴訟で、大阪地裁は27日、賠償を命じた。熊本県の不知火海(八代海)沿岸出身で、19歳から京都市で暮らす原告の女性(63)は判決を受け、「私たちの声が届いた」と晴れやかな表情で語った。

 水俣病の原因物質となったメチル水銀にはさらされていないと切り捨てる行政の姿勢を全面的に覆す司法の判断に、満員の傍聴席に座った女性は隣の原告と手を取り合ったり、こぼれ落ちる涙をぬぐったりして喜びをかみしめた。閉廷後は「こんなにきっぱりと言い切ってくれるなんて」と笑顔を見せ、弁護団と握手を繰り返した。

 提訴から9年。女性には全身性感覚障害などさまざまな症状が生じている。この日も判決後の集会に向かう下り階段では、足の指先に力が入らないため前のめりに倒れてしまわないよう、一段ずつゆっくりと歩みを進めていた。

 仲間の原告には加齢に伴って症状が強まった人もいる。一時的な賠償だけでなく、「一生続く病に対して国は新たに、末永い補償をしていくべきだ」と話した。

 女性は民間の集団検診で水俣病と診断を受けていたが、行政に公式に認められていないことから、病気のことや提訴したことを家族に話してこなかった。しかし、判決を受けて事実を伝えようと考えている。「うまく病と付き合っていけたら。人生に明るい兆しが差した」と前を向いた。

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