シーボルト来日200周年 日本地図収集は科学交流 オランダの学芸員がシーボルト事件を解説

「シーボルトが集めた地図」をテーマに講演するライデン大のストルムス学芸員=長崎市、出島メッセ長崎

 江戸時代の出島オランダ商館医シーボルトの来日200年を記念した講演会が27日、長崎市尾上町の出島メッセ長崎であった。オランダ・ライデン大のマルタイン・ストルムス学芸員が「シーボルトが集めた地図」をテーマに、1829年の日本追放のきっかけとなった「シーボルト事件」で幕府から問題視された地図収集などについて解説した。
 国禁の日本地図などの海外持ち出しを図ったとされる同事件。ストルムス氏は「シーボルトは罪に問われる前に大量の地図をオランダに送っていた」と解説。同大が所蔵する資料のうち、江戸参府の際にシーボルトが通ったルートを記した地図、現在の北海道など北方が描かれた地図など数十点を紹介した。
 ストルムス氏は江戸城内の図面を示し、「事件に関するほとんどの記述では、北の島々の地図を持ち出そうとしたことに重点が置かれているが、江戸城の詳細な図面も同様に機密だった」と話した。
 同事件は探検家でシーボルトと交流のあった間宮林蔵がスパイの疑いがあると幕府に書簡を送ったことが発端とされる。ストルムス氏は「幕府は科学交流の本質を完全に把握しておらず、それをスパイ行為と混同していた」と見解を述べた。同事件で日本を追放されたシーボルトはライデンに定住し、持ち帰った資料や地図を研究。「NIPPON」を執筆したとされる。
 長崎大医学部などが主催。県内外から約90人が参加し、貴重な地図の数々を興味深そうに見入っていた。

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