100年ぶり、にぎわいの輪に…関東大震災以降、途絶えた「みこし」が外へ 横瀬で「里宮の神楽」奉納

100年ぶりに拝殿外に展示されたみこし

 埼玉県横瀬町横瀬の武甲山御嶽神社里宮で1日に例大祭が行われ、境内の神楽殿で「里宮太々(だいだい)神楽」(町指定無形民俗文化財)が奉納された。今年は、関東大震災以前に神楽とともに奉納していたみこしも100年ぶりに拝殿外に展示。400年以上続く地域の伝統と歴史の重みを多くの来場者がかみしめた。

 里宮太々神楽は安土桃山時代の1596(文禄5)年に、秩父の代官日下部丹波守が百穀豊穣(ほうじょう)などを祈り、奉奏したのが起源とされる。江戸時代の1727年からしばらく中断していたが、1818(文政元)年に再興され、町唯一の神楽として、現在まで14座が継承されている。

 神楽保存会の小泉昇一会長(66)によると、今回お披露目された重さ約1トンのみこしは、明治時代の1881年に当時の横瀬村全村民の寄付で製作された。その年から、里宮~和田河原(現在の武甲温泉付近)間約3キロでみこしの渡御(とぎょ)が行われるようになり、毎年5千発ほどの花火が打ち上がるようになった。町歴史民俗資料館に展示されている写真資料には、大勢の見物客でにぎわう当時の例大祭の様子が記録されている。

 関東大震災が起きた1923(大正12)年の例大祭は中止になり、花火費用は被災者の救護に充てられた。同年以降も、地域経済の低迷や火薬類取締法の規制強化などが原因でみこしの渡御と花火の打ち上げは行わなくなり、みこしは神社拝殿下の保管庫に飾られるようになった。

 みこしと花火の中止から100年が経過した今年の例大祭は、歴史と風格を兼ね備えたみこしを、神楽殿の横に設置。神楽保存会メンバーが、「翁渡し」「御姫舞」「剣鍛」などの演目を堂々と舞い、かつての町のにぎわいを再現した。

 小泉会長は「今後も震災の記録と教訓を共有しながら、町の歴史と伝統文化を次世代につないでいきたい」と話した。

400年伝わる里宮太々神楽を披露する保存会メンバー=1日午前11時半ごろ、埼玉県横瀬町横瀬の武甲山御嶽神社里宮

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