ル・マン王者の実弟が“ボス”。欧州の女性チーム幹部が明かす『ウーマン・イン・モータースポーツ』のリアル

 FIA世界自動車連盟が女性のモータースポーツや自動車産業での活動の推進を目的として発足した『ウーマン・イン・モータースポーツ』。世界各地のモータースポーツの現場でも、ドライバーだけでなくさまざまな職種で女性の活躍が広がりを見せている。

 DTMドイツ・ツーリングカー選手権でチームマネジャーとして活躍するジェニファー・ライニングも、そのうちのひとりだ。

 彼女の場合に特徴的なのは、ル・マン24時間レース優勝、そしてニュルブルクリンク24時間レース最多優勝など、ポルシェワークスドライバーとして世界を舞台に輝かしい功績を残し、現在はポルシェのブランドアンバサダーを務めるティモ・ベルンハルトを実弟に持つということ。そして、その弟が代表取締役兼監督として率いる『チーム75ベルンハルト』に、マネジメントとして関わっていることだ(※欧米におけるチームマネジャーとは、文字どおりマネジメント=管理者)。

 弟の右腕となり采配を振るうライニングに、ヨーロッパのモータースポーツ界で働く女性の実状を訊いた。

■幼少期にはティモとともにカートも経験

──あなたがモータースポーツに関わり始めたのはいつからですか?ジェニファー・ライニング(JL):テレビ技師をしていた父が、若い頃から趣味でアマチュアのレースへ出場しており、1975年に自身の小さなチームを立ち上げて母は父の手伝いをしていました。私は生後3カ月からニュルブルクリンクに連れられてきており、エキゾーストノートや工具の音が子守り歌代わりで、当時サーキットにいた大人の方々にかわいがってもらって成長しました(笑)。私は1976年生まれなので、父のチームと一緒に成長したようなものです。

──あなた自身もレースに出ていたのですか?JL:5歳年下の弟のティモと一緒にカートを始めました。どこか有名なチームに所属するということはなく、父がメカニックとして私たち姉弟のカートのメンテナンスをしてくれていましたね。

──いつ頃からモータースポーツの仕事に就くことを考え始めたのですか?JL:生まれた頃からどっぷりとモータースポーツに浸かっていたこともあり、子どもの頃からなんとなくこの仕事には興味を持っていました。その後、大学時代や就職してからも副職として手伝っていましたが、その頃は一般のIT企業で正社員としてフルタイムで働いていました。

 ある日、チーム75ベルンハルトで長年チームマネジャーを担っていた方が転職することになり、弟や両親と長い時間、何度も話し合いを重ねた結果、弟のサポートをすべく、思い切ってIT企業を辞めて2019年から弟のチームへ加入することを決心したのです。

チーム75ベルンハルトの代表を務めるティモ・ベルンハルト

──いきなりプロチームのマネジャーは、ハードルが高くありませんでしたか?JL:マネジメントを大学で学んだわけでもなく、どこか他のプロチームで修行した経験もありませんでしたが、IT企業勤務時代に長年オペレーションマネジメント業務をしていたことと、幼少の頃からモータースポーツで働く両親や周りの大人たちを見ていたこと、そしてチームの手伝いをしていたことで意外とすんなりと入ることができました。

 もちろん、私の両親はプロフェッショナルとしてではなく、あくまで趣味のモータースポーツ活動を何十年もやっていましたので、私が学生時代に手伝っていたことはあくまでアマチュアの領域でした。弟が代表を務めるこのチームは完全なプロのモータースポーツの会社組織ですから、2割の部分は実際に入ってから実践で『プロの業務』を学んでいったのです。

 また、弟がポルシェの現役ドライバー時代はポルシェワークスの裏方の仕事をずっと間近で見ていたこともあり、本職としてモータースポーツの仕事をすると決めた時に、生半可な気持ちでできるものではないと覚悟を決めました。

■周囲が「ドン引きする」ほどの姉弟ゲンカも

──あなたの仕事上のパートナーでありボスである弟さんはかなりの有名人ですが、家族に偉大なレーシングドライバーがいるというのはどんな感じなんでしょう?JL:家での弟はごく普通のヒトですよ(笑)。家族や親戚の集まりがあると、子どもたちを集めてサッカーやプール遊びをしたり、張り切ってBBQをするごく普通の三児の父であり、42歳のオジサンです。

 ポルシェのワークスドライバー時代にみなさんが目にされていた相当な負けず嫌いの『ティモ・ベルンハルト』は、一切自宅には持ち帰らないですし、仕事の話は自宅ではほぼしません。モータースポーツ一家に生まれても、家庭では案外そんなものですよ(笑)。

──幼少期はカートでライバル、現在はチーム代表とマネジャーという間柄ですね。家族経営であるだけに難しい点もあるのでしょうか?JL:弟は私とは比べものにならないくらいにいつも速かったですし、相当な努力をしていましたので、一度もライバルだと思ったことはありませんよ(笑)。一応、私もヨーロッパ選手権まではいきましたが、プロになるには遠いレベルでした。

 チーム代表・監督とマネジャーとして各自役割があり、弟とは互いをとても理解し合って充実した仕事をしていますが、ミーティングの際には時にエスカレートしすぎ、姉弟であるがゆえに遠慮がない分、かなりの激しい怒鳴り合いになる時もあります。私たちにとっては子どもの頃からの姉弟げんかの一環のようなものですぐにケロっとするのですが、あまりにも激しいので周りにいるスタッフがドン引きしてしまいます(苦笑)。

 弟が現役時代にWEC富士戦に行くと、毎回抱えきれないほどのお土産やお手紙をファンのみなさんから頂いて帰ってきました。日本のファンのみなさんには毎回とても暖かく迎え入れ、たくさんの応援をしてくださった土産話を私たち家族はいつも楽しく聞いていましたし、頂いたプレゼントやお手紙は弟の自宅の仕事部屋にいまも大切に飾ってあるんですよ。

2017年と、ポルシェ919ハイブリッドを駆り、ル・マン24時間を制覇したティモ・ベルンハルト(中央)。2010年のアウディ時代に続き、自身2勝目となった。

■必要なのは理解と協力、そして「愛と情熱」

──お子さんを育てながらフルタイムのプロのモータースポーツのマネジャー業務をこなすのはかなり大変ではありませんか?JL:私の息子は11歳になり、随分と手が掛からない年頃になったので助かっています。レースのない平日は朝に息子を学校へ送り届け、私はその足で片道約10㎞離れたチームのファクトリーへ出勤します。職場までが近いので、もしも息子に何かがあった場合はすぐに迎える距離なので助かっています。

 私がレース遠征で不在の週末の夫と息子とのルーティーンはだいたいできているので、安心して留守を任せられていますが、どうしても夫にも用事がある場合は実母にも頼っています(※実母も事務職としてチームに所属)。息子が学校から帰宅し、遊びに行ったりする際には電話で確認をさせますが、臨機応変に仕事を持ち帰ってそのままホームオフィスで続ける日もあります。

2023年のDTMドイツ・ツーリングカー選手権では、2台のポルシェ911 GT3 Rを走らせているチーム75ベルンハルト

──あなたの場合は、基本的にかなり恵まれた環境のようですね。JL:モータースポーツの仕事は世間一般の会社勤めの勤務体制とはまったく違いますから、夫やパートナーの理解がなくては成り立ちません。私の夫は知り合った頃から私の実家の現状を理解していましたので、IT企業を辞めて弟の会社へ入ることも快諾してくれましたが、必ずしもそれは一般的ではないことは理解していますし、私の場合はラッキーだと思っています。夫は家事全般を一通りできますが、レースで留守にする場合に一番の気がかりはいつも子どものことですね。

──特に春から秋のシーズン中は自宅を留守にすることも多いでしょうし、ファクトリーで内勤の日も長時間の残業もあるかと思います。JL:シーズン中の就業時間はあってないような日も多いですね。特にレースウイークではレーシングドライバーはもちろんのこと、性別やポジションに関係なく就労環境は不規則な上、一般的な職業のように終わりの時間はきちんと決まっていません。シーズン中は遠征も多いので、週末を家族とともにゆっくり過ごすことは難しいですね。私や家族はこのような環境に慣れていますが、必ずしもこの業界に働くすべてのひとがこの環境をよしとしていないのは周知のところです。もしも夫や家族の理解や協力が難しいのならば、私はこの仕事を続けることは不可能でしょう。

 春から秋のヨーロッパではお祭りや数多くのイベントが開催される他、バカンスシーズンもレースの多忙な時期と重なりますので、この仕事を本業とする限りではシーズン中に家族や恋人と楽しい時間をゆっくりと過ごすことは非常に難しいのが実状です。誰だって大事な人との時間はとても尊いもの。それを我慢しなければならないのだから、この仕事をするからには相当な仕事への愛と情熱が必要となります。

チーム75ベルンハルトのチームマネジャーを務めるジェニファー・ライニング

──昨今、レーシングドライバーだけでなく、エンジニアやメカニック、オフィシャル関係者やコースマーシャルなどでも女性の数は随分と増えましたが、プロチームの幹部職にはまだ女性は殆どおらず、DTMではあなたが唯一の女性マネジャーです。優秀な方も多く第一線で働く方も増えましたが、その一方でやはり離職率は低くはありませんね。JL:いまの世の中、女性が、男性が、という区分けは必ずしも正しくはないと思いますが、私が女性であり母であるという点で、あえて女性という立場でお話しますね。

 やりがいや高いモチベーションを持った女性たちがモータースポーツ界に入ってくるのは大歓迎です。実際に働いてみて、やっぱり愛する人との時間を優先したい、ママになりたいという選択をすることも間違いではありませんし、子どもを産み育てられる年齢というタイムリミットが女性にはあるので離職は仕方がない部分もあります。また、産休明けに職場復帰をしたいと思っていても、仕事よりも母性が勝ってしまう場合もあるし、自身の体調の問題、周りのサポートの問題……元の職場へ戻るという道が現実的に難しい場合も多いと思います。どんな職業を持った人も同じではないでしょうか。

 ですから、プロカテゴリーのチーム幹部にママがほぼいないのは、そのような問題から断念をせざるを得ない部分もあるのでしょう。また、プライベーターにとっては、人員確保は切実な問題でもあるので、男女問わず、産休や介護休暇の代役として即戦力のある人をすぐに見つけるのも非常に難しいですし、それを見越してのスタッフを正社員で確保するのも経済的に厳しいのが現実です。

 女性と同じように20~40代男性の離職も多いですね。やはり彼女や家族ができると、遠征続きの長時間労働はパートナーの理解を得るのが難しい場合もあるようです。ですから、各チームでは優秀なメカニックが慢性的に不足しているのが現状ですし、乳幼児のいる父親エンジニアらも、長時間労働や遠征を避けて、内勤職を希望する人たちが増えました。

──ザントフォールトではDTMに関わる女性たちの記念撮影が初めてありましたね。JL:コースマーシャルからサポートレースのF1アカデミーの女性ドライバーまで、こんなにも多くの女性がこのザントフォールトのレースウイークに働いていることに驚いたと同時に誇らしく思います。

 ただ、どのポジションであれども、『女性だから』と別括りをするのは、実はあまり好きではありません。F1をはじめ、さまざまなカテゴリーを目指す女性ドライバーも多くいますが、女性だからと言って別枠でシートが得られるわけではなく、性別も年齢も国籍も関係なく最高のポテンシャルと実力を備えていなければならないというだけですし、他のどんなポジションや職種だって同じ条件です。

2023年DTMザントフォールト戦で行われた女性ドライバー、スタッフの集合写真撮影

──モータースポーツ界で今後働きたい、現在働いている後輩女性たちに、先輩としてアドバイスはありますか?JL:なによりも大切なのは家族やパートナーの存在ですし、あなた方の強いパッションなしには、この業界で働き続けることは非常に難しいと思います。

 ママになって一旦休職をしても、またいつの日かサーキットへ戻ってきてくれると嬉しいですね。チームアシスタント(日本でいうチームマネジャー)や広報などは昔から女性が活躍している現場ですが、幹部職やエンジニア・メカニックではママ業と兼ねるのは相当厳しいけれど、まずは先輩ママの私たちがそのような道筋をつけて行かなければならないと考えています。

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