ある日突然 “犯罪者”とされる絶望… あってはならない「冤罪」が絶えないシンプルな理由

西愛礼弁護士(弁護士JP)

罪がないのに罰せられる。人権の観点でいえば、最悪ともいえる扱いが冤罪(えんざい)だ。なぜ、こんな理不尽なことが起こってしまうのか…。繰り返されてはならない失態が絶えない原因に、あえて冷静に向き合い、再発を防ぐ失敗学として、2年の歳月を費やして一冊の本にまとめたのが『冤罪学』(日本評論社)だ。

著者の西愛礼氏は元裁判官の弁護士。「冤罪事件を批判だけで終わらせず、そこから学ぶことによって再発を防止することがなにより重要」と、過去を丹念に振り返りつつ、心理学など多様な視点も盛り込み、冤罪の発生メカニズムを解明。起こさないために知っておくべきことを416ページに網羅した。本に凝縮した思いを聞いた。

無実を証明する困難さVS有罪を確定させたい捜査側

──冤罪は「罪がないのに疑われ、または罰せられること」と定義されています。法治国家でなぜこのようなひどいことが起こってしまうのでしょうか。

西弁護士:端的に言えば、人は誰でも間違いを犯します。だから「犯人を間違ってしまう」こともあるということです。ではどういう原因で犯人を間違ってしまうのか。それは、誤った証拠等に基づくことで判断を誤ってしまうこともあれば、人間の心理的な問題に起因したりすることもあるというところでしょうか。

──では例えば、誰かが無実なのに逮捕されました。無実だとするなら否定します。でも、捜査機関は認めない。認めないとしても、誤った方向へ進んでいるかもしれないことを自覚するチャンスでもあります。それなのになぜ突き進んでしまうのでしょう。

西弁護士:基本的に捜査機関は罪を犯した人を検挙する役割を担っています。ですから被疑者が「違います」と言ったとしても、「ウソをついているんじゃないか」という目で見てしまうことがあります。

反対に、無実の人からすると、自分はやっていないという「無いこと」を証明することが非常に難しい。特に全く人違いの第三者が犯人だとされた場合は、その人は事件についてなにも知らないわけです。

捜査機関が”視野狭窄”になりがちな元凶とは

──捜査のスタート時点で被疑者は圧倒的に不利な状況にある。

西弁護士:被疑者が捜査機関と対峙する時、国家という強大なものを相手にするわけです。一方、被疑者は弁護人がついたとしても市民2人。圧倒的な劣位に置かれた環境下で捜査は進んでいきます。 そんな中で、人間は見込みに沿った情報を集めてしまう「確証バイアス」や、自身の見込みに合うように証拠を評価しようとしてしまう「認知的一貫性」、自身の見込みに合わない事実や証拠は排斥しようとしてしまう「認知的不協和」というような心理作用によって、誤った思い込みを深めていってしまうんです。

本来であれば無罪を含んだあらゆる可能性を検証すべきです。ところが、いろいろな心理作用が相まって過度に狭い視野で誤った見立てに没入してしまい、受け取った情報に対する評価や、情報に対する自分の行動を不当に歪めてしまう――。このような視野狭窄の状態は「トンネルビジョン」と呼ばれ、冤罪の代表的原因として挙げられています。

──もはや暴走ですね。やはり捜査機関側には組織におけるプレッシャーといった要素も強く、正常の感覚を失わせる側面も否定できないのでしょうか。

西弁護士:確かに組織体質も無関係とはいえないでしょう。厚労省元局長の冤罪事件では主任検察官が上司から大きなプレッシャーを受け、結果的に証拠を改ざんするというあるまじき行為に及んだケースもありました。 ただ、「一部の特殊な人や組織だけがねつ造などによって冤罪を作り出している」と他人事のように考えてしまうと、再発防止策を考えることが出来ません。

例えば、不正行為が行われやすい状況などの原因を分析したうえで、刑事事件に関わる全ての人を対象とした再発防止策を取る必要があります。まずは人間であれば誰もが間違いを犯してしまうということを認め、それを前提に再発防止策を講ずることが、冤罪を防ぐ最初のアプローチであるべきだと私は思います。

そのためにはなぜ誤りを認めるのが難しいかということも含めて冤罪というものをを科学的、心理学的に解明した上で、みんなに知識としてインプットしておいてもらい、いざ自分がそういう状況になった時に引き返せたり、実際に冤罪が起きてしまった時にそこから再発防止策を講じられるようにしたりするのがいいのではないでしょうか。そう思って、あえて「冤罪学」というタイトルにして、より科学的に多角的な視点で冤罪の原因を捉え、再発を防止できるような内容を詰め込みました。

冤罪を繰り返さないために大事なこととは

誰もが自分事と捉え、冤罪に学ぶことの重要性を訴える西弁護士(弁護士JP)

──冤罪は、企業でいえばとてつもなく大きな失敗です。にもかかわらず、十分に責任追及や検証がなされずにここまでズルズル来てしまった…。

西弁護士:誰もはじめから冤罪を作ろうなんて思ってはいません。ところが、捜査の過程で盲目的な正義感が行くところまで行きついて不正義を生み、なんの罪もない人を犯罪者にしてしまうことがあります。他方で、だからといって冤罪を感情的に批判し、責任を追及することに終始して事件が終わってしまうと、また同じ原因のもと冤罪が再生産されてしまいます。

大事なことは冤罪を学び、冤罪に学ぶことです。ただ、これまでは十分に振り返る時間もなく、十分に検証がされてこなかったがゆえに、冤罪に関する知識が集積されてこなかったんです。また、既にある冤罪に関する知識を得ようとすると、何冊も本を読まなければならず、それは専門家においても簡単なことではありませんでした。そこで、冤罪の知識をまとめた本を書こうと。

──冤罪を反省し、起こさない施策が打ち出されたことはこれまでもあるんですか。

西弁護士:厚労省元局長の村木厚子氏が逮捕・起訴された厚労省元局長冤罪事件では行き過ぎた取調べが冤罪を生んだとして、その後、一部の取調べの録音・録画につながりました。しかし、その後の大手不動産会社「プレサンスコーポレーション」の元代表取締役である山岸忍氏が業務上横領の容疑で逮捕・起訴されたプレサンス元社長冤罪事件では同じ過ちが繰り返されてしまいました。再発防止策をとることで満足するのではなく、それを実践し、見直し、改善していかないと意味がないんです。

──どうすればいいんでしょうか。

西弁護士:冤罪の再発予防にあたっては制度や運用の改善が必要ですが、その際には冤罪は決して他人ごとではないという意識を持たなければいけません。厚労省元局長冤罪事件やプレサンス元社長事件は決して大阪地検特捜部だけの問題ではありません。両事件の根底には捜査一般に関する冤罪の原因も多々あり、全国の誰しもが同じような間違いを犯すかもしれないんです。

捜査機関だけでなく、弁護士も目の前の人を有罪だと思い、弁護活動が不十分になって冤罪の創出に加担してしまった事件がありますし、裁判官も誤判の問題があります。刑事事件に関わる全ての人達が「自分も間違うかもしれない」という意識で冤罪に取り組む必要があります。

一般の方も、いつ冤罪の当事者になるか分かりません。刑事司法という制度や冤罪という問題はみんなで解決していくべきものだと思います。

──だからこそ、冤罪に学ばなければいけない。

西弁護士:はい。簡単なことではありませんが、私たち人間は学ぶことによって社会を発展させてきました。この本が刑事司法に関わる全ての人にとって、その拠り所のひとつとしてお役に立てれば幸いです。

西 愛礼(にし よしゆき)
2014年一橋大学法学部卒業。 2016年裁判官任官、 千葉地方裁判所において刑事裁判に従事。2019年アンダーソン・毛利・友常法律事務所弁護士 (弁護士職務経験)。2021年裁判官を退官、しんゆう法律事務所弁護士 (大阪弁護士会)。 プレサンス元社長冤罪事件、スナック喧嘩犯人誤認事件などの弁護人を担当。 日本刑法学会、法と心理学会、イノセンスプロジェクト・ジャ パンに所属。
【著者論文 】 「冤罪の構図―プレサンス元社長冤罪事件 (1)~\(4)」 季刊刑事弁護 111~114号 (現代人文社、2022~2023年)ほか。

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