地下鉄の銀座一丁目駅から8番出口の細長い階段を上りきると、視界がパッと広がった。西日を受けてオレンジ色に染まったビルの間を銀座通りがまっすぐに伸びている。
道の反対側には、赤いクリップの文房具店、伊東屋。時代を越えて通りの景色に溶け込む佇まいには懐かしさを覚えるが、視線を先に送ればシャネル、ブルガリ、ルイ・ヴィトンと、眩いばかりのショールームが立ち並び、今やインバウンドの賑わいとともに時代の移り変わりが感じ取れる。
ただ銀座と言えば、やはり「4丁目交差点」へいざなう不動のラインアップだ。書店の教文館、宝石のミキモト、音楽の山野楽器ときて、パンの木村家を過ぎれば、鎮座するのは和光のビル。セイコーの時計塔を見上げれば、昭和にタイムスリップしたかのよう。さらに向かいの三越、交差点反対側の日産、西の角には立替え工事中の三愛や鳩居堂が、今も銀座の歴史を見つめている。
そんな銀座通りの歩道にはガードレールがない。銀座百店会が発行している小冊子「銀座百点」によれば、それは「歩く人たちが“銀ぶら”を満喫するため」だそうである。そう、銀座は“歩く町”なのだ。
その銀座が、この日ばかりは“走る町”になる。
10月15日、パリ五輪への切符をかけた一発勝負のフルマラソン「MGCマラソングランドチャンピオンシップ」。65人の国内精鋭ランナー達は、そのコース上「銀座4丁目交差点」を実に4度に渡り駆け抜けるのである。
その銀座のど真ん中を、先頭で駆け抜けていくのはいったい誰か―。最も注目を集めているランナーがいる。
鈴木健吾選手(富士通)
愛媛県宇和島市出身の“マラソン日本最速ランナー”だ。
マラソン日本記録保持者 鈴木健吾選手
北海道の空の玄関口、新千歳空港から車で30分ほど行くと、静かな緑地公園が広がる。ここを拠点に約1か月半前、鈴木健吾選手は富士通陸上競技部の恒例、夏の北海道千歳合宿で、黙々と距離を伸ばしていた。
単刀直入に尋ねてみる。「調子はどうですか?」
異例の猛暑続きの北海道で日焼けし、精悍さを増した鈴木選手は「はい、ボチボチです」と即答。言葉は控えめだったが、満面の笑顔には順調な調整ぶりが伺える。
インタビューは午前中の練習終了後、合宿先のホテルにセッティングされた。もちろん目的はMGCへの意気込みを語ってもらうことだが、フィジカル面の状態よりも、まず聞きたいことがあった。
「マラソン日本最速ランナーという肩書きに慣れましたか?」
鈴木選手は静かに話し始めた。
「自分が『日本記録保持者』だという気持ちは、あまりないという感じですね」
言葉に力みはない。そして真っ直ぐな視線をこちらに向けて続けた。
「自分はどちらかと言うと『チャレンジしていってワンチャンスをしっかりものにする』みたいな『隙あれば狙っていくぞ』というのが好きなタイプなので、今はもうチャレンジャーという気持です」
5回目のマラソンで日本記録を樹立 一躍時の人に
鈴木健吾選手が世界を驚かせたのは'21年のびわ湖毎日マラソン。マラソンわずか5回目で優勝タイムは2時間4分56秒、当時の日本記録(大迫傑選手2時間5分29秒='20年東京マラソン)を33秒も更新し、日本人(非アフリカ系)初の4分台を叩きだし、一躍時の人となった。
ただ元来、控えめなタイプの鈴木選手はその後の取材攻勢について「すごくあそこから注目され始めて、自分が思っていた景色とはやはり違う中で過ごして。心身ともにタフになったなとは思います」と笑顔で振り返る。
それもそのはず、日本記録保持者として臨んだ1年後、去年の東京マラソンでは、レースを前にした当時の心境は穏やかではなかったという。
「びわ湖で4分台を出したが、自分のセカンドベストが10分台だったので、周りからもまぐれなんじゃないかと思われるし、自分でも本当の力だったのかなと自問自答しているところもありました。とにかく次が大事だと思って、そこである程度結果が出せれば自分自身もホッとする部分もあるだろうし、周りも認めてくれるだろうと思っていましたが…」
初めて味わう、目に見えない、また異質とも言える未知の重圧―。
そんな時だった。'21年12月、鈴木選手は女子マラソンのトップランナー、一山麻緒選手との結婚を発表した。
そして3か月後の東京マラソン。鈴木選手は安定感と力強さを兼ね備えた堂々たる走りで2時間5分28秒、日本人トップの4位に入り、日本記録樹立がフロックではないことを証明してみせた。
「実は、直前の徳之島合宿では状態はよかったんですが、(本拠地の)千葉に戻ってからあまり良くなくて、出走も大丈夫かなという状況でのレースだったのでホッとしました」と振り返る鈴木選手だが、妻の一山真緒選手も女子で優勝を成し遂げ喜びも倍増。マラソン界の超ビッグカップルは、揃ってオレゴン世界陸上の切符を掴み、その道は真っすぐ2024年パリ五輪へ向かって伸びていると誰もが信じて疑わなかった。
ところがこの後、鈴木選手は次々に不運に見舞われることになる。
表舞台から遠ざかっていった鈴木選手
その一報に目を疑った。
マラソン世界陸上 鈴木健吾と一山真緒が欠場
'22年7月、世界陸上でオレゴン入りしていた鈴木選手は、レース3日前の記者会見で「やっと世界に挑戦できる時が来た。強い世界の選手に積極的にチャレンジしていきたい」と意気込みを語っていた。ところがレース前日、夫婦揃って新型コロナ陽性が判明。欠場を余儀なくされた。
当時を鈴木選手が振り返る。
「やっと代表権を掴み取って、準備としても悪くない状態で現地入りしていたので、やるせないというか、なんとも言えない気持ちになりました」
そんな鈴木選手の胸の内を気遣うチームスタッフは、直近のマラソン大会出場を提案。鈴木選手も気持ちを切り替えていたという。
「3、4か月かけて準備してきたものを発揮できなかったので、スタッフも『準備してきたものもあるから、直近のマラソン出てみたら』ということで、10月のロンドンマラソンの出場を予定していました。でも、なかなか準備もできてなくて、足の状態もあまりよくなかったので棄権となって…。この時はやはり精神的にダメージを感じました」
それでも、翌23年3月の東京マラソンで世界陸上の切符をもう一度掴み「夏のブダペスト経由、パリ行き」というストーリーは、鈴木選手にとって絶対に譲れない自らのミッションとして視界の中央に捉えられていた。
ところが東京マラソン2か月前の1月、右足股関節の痛みを原因に、鈴木選手はレース欠場を発表。日本最速ランナーは、次第に表舞台から遠ざかって行った。
「レースに出られず得られなかったものは、レースでしか取り返せないと思っていたので、目標の1つとして東京マラソンを狙っていたんですが、なかなかうまくいかないな、という状態でしたね。やはりマラソンの練習って、準備が長い分、自分の思い描いた通りにはなかなか毎度毎度いかないなというのはすごく感じています」
マラソンランナーがレースに出られないという地獄。それでも鈴木選手の折れそうな心を支え続けていたのは、走る苦しみも喜びも分かち合う妻の存在だったという。
「当時は2人で世界陸上を目標にしていたので、2人とも走れなくて2人とも落ち込んだところもありましたが、その先のパリに向かって一緒に頑張ろうという気持ちになっていきました」
そんな頃、鈴木夫妻に思わぬお誘いが舞い込んだ。それは、市民マラソンのゲストランナー。開催地は、故郷の愛媛県だった。
地元で再確認した走ることへの純粋な思い
今年5月、愛媛県西予市野村町で開かれた朝霧湖マラソン。コロナ禍を経て4年ぶりの開催は第30回の記念大会で、鈴木健吾選手と一山真緒選手は、夫婦揃って招待された。
そして多くの市民ランナーに囲まれながら、笑顔で走った距離はわずか10キロ。それでも鈴木選手は、故郷のあたたかい雰囲気の中であらためて走ることの喜びを噛みしめていたという。
「地元のマラソン大会に出たことはなかったので楽しみだったし、夫婦で呼んでくれて歓迎してくれて、ホッとしましたね」
そんな様子に胸をなでおろしていたのが、宇和島東高校時代の陸上部の恩師、和家哲也さん(現:県立宇和高校教諭)だった。高校卒業後、大学、社会人と第一線で活躍する鈴木選手を地元愛媛から見守ってきた和家さん。周囲の期待とは裏腹に、レースから遠ざかっていた教え子の心持ちをずっと気にかけていたという。
「できるだけそっとしておいてやった方が…、彼の人間性からして苦しい時期でも丁寧に対応しようとするので」
それでも和家さんは、天国と地獄を味わった鈴木選手の心の成長をしっかりと感じとっていた。
「以前の彼だったら、もしかしたらオドオドしていたかもしれないけれど。ずいぶん大人になったなという感じですね。高校時代は“練習の虫”で、完璧主義なところもあって、仕上がっていない状態ではレースに臨みたくないという感じでした。最近は、今の状態でベストを尽くすということを自分で受け入れられるようになってきたのではないでしょうかね」
そして和家さんは、その心境の変化の理由の1つをこう見ている。
「やはり一緒にプレッシャーを共有してくれる人がいるというのは大きいのではないでしょうか」と、妻・一山選手の存在に触れた上で「実際に話をさせてもらうと、2人は似ているなと。むしろ真緒ちゃんの方がものすごくストイックに取り組むそうですね。健吾はアスリートとしても刺激を受け、元気をもらっていると思います」
そんな和家さんは今回、帰郷した鈴木選手に陸上部の生徒達との交流の場を用意。「走ることへの純粋な気持ち」を思い出してほしいと考えていたという。
「中学生、高校生の目がもうキラキラしている状態で、本当に憧れの人達がまさにそこにいてくれてね。それで健吾も生徒達に『走ることを好きでいてね』とか、少し有望な選手に対しては『絶対慌てちゃダメだよとか『あせらずじっくりやるんだよ』というような声をかけていました」
陸上で夢を見る故郷の後輩達の真っ直ぐな眼差しを、真正面から受け止めた鈴木選手。
「パワーをもらいましたね。やっぱりたくさんの人が応援してくれているんだなというのを、地元に帰ってあらためて感じることができたので、本当に頑張りたいなと思いました」
ブランク乗り越え… 本格的に実践復帰
故郷愛媛で心身ともにリフレッシュした鈴木健吾選手は、これを機に本格的に実践に復帰。フルマラソンからは1年3か月遠ざかっていたが、今年6月の函館ハーフマラソンでは1時間2分46秒で7位と、ブランクを乗り越え順調な回復ぶりをアピールすると同時に、10月のMGCマラソングランドチャンピオンシップに向かって復活への第一歩を踏み出した。
「練習も途中の段階だったので、MGCを考えた時に、自分の現在地を把握しておくために調整も兼ねてハーフマラソンに出ました。ずっと練習はしてきましたが、力を発揮できるのはやはりレースなので出られたことはよかったです」
ただ、気になるのはフルマラソンからのブランクだが、鈴木選手は表情ひとつ変えず、こう一言。
「マラソンはそんなに、年に何本も走るものではないのでしっかり準備できれば全然問題ないと思います」
では、その「準備」。さぞ綿密な計画のもとに進められているのだろうと尋ねれば、その答えは意外なほど自然体だった。
「1本のマラソンを走るのに3、4か月かけて臨みますが、自分がその間こういう練習をやろうと考えていても、なかなかそれ通りには毎回いかないのが難しいところ。コーチやスタッフと相談しながら微調整していく過程が大事だし、その経験値が次に繋がっていくのかなと思いますね。プロセスも違うし、レースが冬にあるのか夏にあるのかで取り組み方も変わってきます。ですからプランに縛られるとうまくいかない事もあるので、柔軟に臨機応変にやっていくのが大事かなと思います」
インタビュールームの気温が少し上がった気がする。
「成功体験ばかりに縛られると、その時にアクシデントがあったりすると、次のプランがなかなか出てこなかったりするので、いろいろな引き出しを持っているのは大事だと思います」
実戦不足をカバーする練習の質。
MGCまで50日余り、10日間の千歳合宿では連日30℃越えという北海道では異例の暑さ続きの中、30キロ走を週3回こなすなど走り込んできた鈴木選手。
取材で訪れたこの日は、追いこんだメニューの翌日で軽めの調整日だったが、かえって誤魔化しのきかないスローペースの中、腰の高いフォームを意識しながら、オフロードからトラックまで黙々と距離を重ねていた。
自転車で伴走していた富士通陸上競技部の高野善輝コーチに鈴木選手の状態を尋ねてみた。
「今年の6月に函館ハーフを走って、想定していた以上の結果が出たので、そこから尻上がりに状態も上がってきています。MGCではいい状態でスタートラインに立てるのではないかと思っています」と笑顔だ。
MGCで“2着以内” 明確な目標に向け-
MGCのコースは、国立競技場を発着点に東へ向かい、神保町を通って上野広小路で折り返すと、ここから周回コースとなり上野-日比谷間を2周する。その後は小川町を経て大手門でターンし、靖国通りを西にひた走り、再び国立競技場を目指す。ほとんどがフラットだが、折り返しが多いのが特徴で、終盤37キロ付近からは約3キロの上りが待っている。
鈴木選手の印象はどうか。
「折り返しの時は、一度ペースを落として、折り返したらまたペースをあげてというストップ&ゴーみたいな感じなので、結構足は使うと思います。折り返しが多いのは、後半に響いてくる要素でしょう。ですから最後の上りもそうだし、30キロ過ぎてからは大事な部分だと思います」
大切になってくることは2つあるという。
「レース展開を、どういう風に自分が進めていくのかということと、自分が本当に『行ける』というところを見極められるかというところです」
山あり谷あり、歓喜と苦悩の混在する濃密な時間を経て、いよいよ目前に迫ったMGC。鈴木選手の脳裏に浮かぶのは、7位に終わった前回大会のことだという。
「4年前のMGCでは、やはりオリンピックに出られないという結果を突きつけられたという悔しい思いが自分の中にあったので、4年後は絶対MGCで活躍したいという思いはありました。あの日からオリンピックを意識し始めたと思います」
だから目標は明確だ。
「スタートラインに立った時に、どれだけ自分が後悔なく準備ができたかというところである程度の結果は決まってくると思います。まずは万全の状態でスタートラインに立つ。本番当日は2着以内、貪欲に狙っていきたいと思います」
65人の国内トップランナーが、一発勝負でパリ行きの切符2枚を争うMGC。“マラソン日本最速ランナー”が、もう一度輝きを取り戻すことができるか。
スタートから約2時間後、東京、千駄ヶ谷の国立競技場に飛び込んでくる、あのはち切れんばかりの“健吾スマイル”を、ファンは首を長くして待っている。