「昭和喪失」 ~あと数年も経つと「遺産」となる~ そのような時代を迎える前に 第8章 東京都北区田端~JR東日本・田端駅南口~

第8章 東京都北区田端~JR東日本・田端駅南口~

ここが山手線の駅と疑うばかりの佇まい田端駅南口、その歴史は古く、1896年日本鉄道によって建設された駅である。当時は、のちの常磐線もここから分岐し、東北へ向かうターミナルとなる駅であった。

山手線は、上野駅を出ると上野台地の崖下を縫うように線路が建設された。当然、田端駅も崖下に駅のホームが作られている。

1903年にのちの山手線が池袋方面に延伸し、1905年に常磐線が日暮里から三河島駅経由に変った。すると、田端は東北線と山手線の分岐駅となった。しかし、ここ南口は高台にしか出ることができなかった。そのため、2000年代に北口は建替えされたものの、そのままの状態であった。

システムの進化によって、置き去りに・・・

1990年に田端駅は自動改札機を導入する。そのことによって、有人改札である必要がなくなり、いつしか、南口は無人改札となった。今では、駅員室には壁が張られ、自動改札が二つと自動券売機が一つ。まさしく、昭和が置き去りにされたままの状態である。

改札を出て、右側の不動坂の階段を昇ると田端のお屋敷町、ひっそりとしているが、品のある町が広がっている。

崖下の向う側には、新幹線操車場、そして、高架上を新幹線が疾走していく。新旧揃い踏み、これも一つの昭和喪失であろう。

寄稿者 観光情報総合研究所 夢雨/代表

(次ページは田端駅南口の景色を!)

撮影・取材 2023年8月19日

駅舎の中に吸い込まれれると自動改札が二つ!

出口は、ほのぼのとした坂道

フェンス越しにスカイツリーも見える

もう一方の道は、石段「不動坂」

崖下には、新幹線操車場と高架線

おまけ:少し足を延ばすと
山手線本線上唯一の第二中里踏切

(過去の寄稿については、こちらより)

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