「発祥の地」なのに…人口34万人、保健所のない埼玉・所沢市 市長選のテーマにも 所沢市長選、きょう告示

所沢駅の近くに建つ「保健所発祥之地」の石碑=埼玉県所沢市くすのき台

 任期満了に伴う埼玉県所沢市長選は、15日告示される。これまでに介護福祉士で新人の杉田まどか氏(45)、4選を目指す現職の藤本正人氏(61)、元衆院議員で新人の小野塚勝俊氏(51)の3氏が、いずれも無所属で出馬する意向を表明している。

 3氏が視線を向けるテーマの一つが、保健所の設置だ。「保健所発祥の地」といわれる所沢だが、現在は市内に保健所がない。コロナ禍の経験などを踏まえ、3氏はそれぞれの見解を示している。

 所沢市くすのき台の西武線所沢駅東口。市民らが行き交う歩道の脇に建つ石がある。「保健所発祥之地」と記した碑だ。

 市などによると保健所の先駆けとされるのは、1937年に置かれた埼玉県特別衛生地区保健館(農村保健館)。米ロックフェラー財団の寄付を受け、公衆衛生の技術者の育成を目的に開設された。

 なぜ所沢市が設置場所に選ばれたのか。市によると当時は所沢町のほかに、富岡村や山口村など6カ村による組合立の病院があった。その設備や活動に対する評価があったといわれているという。

 農村保健館は組合立病院に接して建設され41年、「所沢保健所」と改称。64年にはけやき台地区に移転し、業務を行った。所沢保健所が狭山保健所(狭山市稲荷山)に統合され廃止となったのは、2010年のことだ。「効率的な運営や機能の強化を図るための再編」とされた。

 狭山保健所は所沢(約34万人)と共に狭山、入間、飯能、日高の5市(計約77万人)の「西部保健医療圏」を管轄している。20年に入って感染が拡大した新型コロナウイルスでは、狭山保健所が所沢市の対応に当たった。関係者は「当初は発熱外来のコーディネートや事業所からの問い合わせなどで逼迫(ひっぱく)していた」と振り返る。

 所沢への保健所を巡る議論は、これまでにも県議会や市議会で行われている。

 県は9月の県議会一般質問の答弁で「西部保健医療圏に県が複数の保健所を設置する考えはない。市が自ら保健所を設置する場合には、経験豊富な専門職の派遣など体制整備や人材育成の面からの全面的な支援などをしていく」とした。

 所沢市の9月市議会の一般質問では、市が「国の動向を見つつ、県も巻き込んで所沢市への保健所の復活に向け、さまざまな観点から検討する」などと答弁した。

 立候補を予定している3氏は保健所について、それぞれの見方を示す。

 杉田氏は「30万人を超える所沢では保健所が必要。コロナ禍だけでなく自殺予防対策なども行うべきだ」と主張する。

 藤本氏は「市民の声を受け、保健所を持ってくる。建物は市で造るなど、市と県で協議し検討に入る」と強調する。

 小野塚氏は「中核市になって市の保健所を造る。市民の命と健康を、市役所が守り抜くための組織だ」と訴える。

 9月1日現在の有権者数は29万1812人(男14万2978人、女14万8834人)。

(右から)杉田まどか氏、藤本正人氏、小野塚勝俊氏

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