それでも私はロシアへ 長崎大卒の斎藤さん(23) 大学院進学で10月出発  肌で感じる世界の広さ

トムスクのトミ川沿いの公園で友人と過ごす斎藤さん(右)=2月26日撮影(斎藤さん提供)

 2022年3月、長崎大を卒業した斎藤孝太さん(23)はロシア文学を学ぶために、ウクライナとの戦争状態にあるロシアに旅立った。行く先々で日本人として珍しがられ、たびたびロシアの情勢や日本の戦争の歴史について意見を交わした。今月、大学院に進学するため再びロシアへ。16日、ウクライナ侵攻から600日を迎えた。

◆「頭をぶん殴られた」
 神戸市出身。進学先に同大を選んだのは「周りとは違う、自分の生き方を模索していたから」。中学まで成績が良かったが、高校では伸び悩み、自分のアイデンティティーが分からなくなった思春期を送った。
 18年春に入学。中学の頃から憧れていた古本屋でアルバイトを始めた。大学1年の冬、たまたま手に取ったロシアの文豪、ドストエフスキーの長編小説「罪と罰」と運命の出合いを果たす。「頭をぶん殴られたような衝撃だった」。善人は善人、悪人は悪人と白黒を付けられるほど、世界は単純ではない、と学んだ。
 人間の心理をえぐるように描くドストエフスキーに魅せられ、大学在学中に全作品を読破。チェーホフやトルストイなど他のロシア文学作品にも親しんだ。「ロシア社会を何とかしたい」。そんな感情が込められた大作群に熱量を感じた。
 他国の文学作品も読みあさったが、それぞれの作家に愛着を持てたのはロシアだけ。国そのものに興味が湧き、19年の冬休み、初めてロシアを旅した。英語も通じず、誰とも仲良くなれなかった。「理解できなかったからこそ、もっと知りたい」。その後の人生のルート上に、ロシアが現れたのは自然の流れだった。

◆戦争中のロシアへ
 大学4年の夏、周囲の友人たちが就職先を決めていく中で、ロシアの大学の準備コースでロシア語を学ぶと決意した。しかし、卒業直前の22年2月24日、ロシアがウクライナへの侵攻を開始。ロシアに向かう航空便は途絶え、約3カ月間、オンラインで大学の授業を受講しながら、日本で時を待った。
 「ロシアが100%悪で、ウクライナは被害者」-。テレビから流れる映像は、こんな構図ばかり。軍事侵攻は許されないが、ウクライナの背後に潜む米国や北大西洋条約機構(NATO)にロシアがおびえてきた歴史を知った。「罪と罰」で学んだ視点で見ると、物事を単純化するマスメディアや、米国の「核の傘」に依存しているにもかかわらず、無関係のように振る舞う日本に嫌気が差した。
 7月上旬、ロシア行きの手段をようやく見つけた。両親は不安がったが、ロシアへ旅立った。「この目で現実を見に行きたい」
 モンゴルまで飛行機で行き、首都ウランバートルから小さなシャトルバスに乗り込んで大草原を突っ切った。ロシア南部のウラン・ウデに到着。さらに、シベリア最古の町の一つといわれる中部のトムスクを目指し、列車を何度も乗り継いだ。

 トムスクに到着した直後、倒れ込みそうなほどの高熱にうなされた。新型コロナの陽性反応が出た。町外れの病院に救急搬送され、重症患者用の病棟に隔離された。誰も知り合いがおらず、ロシア語も単語レベルでしか分からない状況だった。それでもめげずに、ロシア語の文法を本で勉強しながら退院した。

◆「罪の意識」も…
 同8月1日からトムスク工科大の準備コースに参加。同級生は旧ソ連と結び付きの強い国の出身者ばかり。ルームメイトのモンゴル出身の男性にロシアに来た理由を尋ねると、こう返ってきた。「同一経済圏で最も学問が進んでいるロシアへの留学は母国に帰ると箔(はく)が付く」。異なる価値観に触れ、世界の広さを感じた。
 「なぜ日本人は原爆まで落とされて、戦後、文化的にも欧米化が進められたのに、米国と仲がいいんだ?」。エジプト出身の男性との会話の中で詰め寄られた。米国による中東侵攻の歴史からロシアの味方をしているように思えた一方で、なじみのない歴史観が新鮮だった。
 授業は週6回。ロシア語のほか、大好きな文学や哲学を専攻。休み時間の合間に町を散策して仲良くなったロシア人の女性(23)に国の情勢について聞いてみると、真剣なまなざしで答えてくれた。「私たちロシア人は政府の蛮行を止められず、みんな罪の意識を感じている。私に政権は止められないが、いつか必ず自由を手に入れる」
 ウクライナとの戦いに反対意見を持っているものの、自らの生活のために表立った行動はできない-。ロシアの人たちの矛盾した感情に触れた。現地で仲良くなった人たちの中で、プーチン大統領を支持する人に会ったことはない。「親戚が戦争に行った」という話も何度か聞いた。
 そこには国が戦争をしようが、いつも通りに暮らしたい人がいた。一度、反政府デモのビラを見て、開催予定地のトムスクの公園に行ってみた。すると、周辺には20人以上の警察官が巡回していて、デモは行われなかった。戦争の終結を願うと同時に、えたいの知れない恐怖を感じる瞬間でもあった。

◆再びロシアへ
 ロシア語検定試験の中級レベル「B1」に合格し、今年7月に一時帰国。両親に覚えたての郷土料理ボルシチを作って振る舞った。自身の親戚から誰ひとり戦争に赴くことのない日常をいとおしく思えた。
 「路面電車が走ってる!ロシアが懐かしいな」。9月、斎藤さんはロシアに戻る前、長崎市へ。母校の長崎大を訪れ、ドストエフスキーの本と過ごした学生生活を思い起こした。「長崎での学生生活はロシアと出合えた人生のターニングポイント。この大学に来て本当に良かった」
 次に行く町は、よりウクライナに近い西部のカザン。大学院で2年間、ロシア文学を専攻する。「日本文学で議論に上がる自己認識などのテーマをロシア文学に落とし込んで考えるのも面白いかも」。早くも研究への飽くなき探求心をみなぎらせている。

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