美智子さまを襲うネットの中傷誹謗…30年前のバッシングでは知人に悲痛告白「試練にも意味がある」

8月16日、東京国立近代美術館を訪問された上皇さまと美智子さま(写真:共同通信)

「現在、ネット上に上皇ご夫妻への誹謗中傷があふれています。たとえば8月に報じられた、ご夫妻が軽井沢で静養されているというネット記事に対しては、《静かにお忍びで行こうと思えば行けるのに報道陣をわざわざ呼んで記事にさせるのは何故なの? テニスコートのお話も古過ぎて老人しか知りませんし時代遅れのロマンスは興味もないです》といったコメントが書き込まれ、多数の人々が『いいね』を付けていました」

そう語るのは名古屋大学准教授の河西秀哉さん。河西さんはこうした状況を憂慮し、現在発売中の『文藝春秋』(11月号)に《美智子さまが狙われている》というタイトルの論文も寄稿している。

「なかには上皇后さまを『皿婆』という隠語で呼んでいるケースもあります。外出するときにかぶっていた帽子が小皿のように見えると揶揄する言葉です。この問題を放置しておけば、象徴天皇制・皇室の危機につながるのではないかと考えています」

確かに心ない誹謗は身に着けておられるものにまで及んでいる。美智子さまが白内障の手術以来かけられているサングラスに対しても、《ヤクザ屋さんでもあるまいに》《サングラス取ると、人相悪いの目立つから?》といったコメントが書き込まれていた。

「かつて病気療養中の雅子さまがメディアから批判されていたことがありましたが、そうした状況を作り出したのが上皇ご夫妻だったと考え、中傷をしている人々もいます。しかし、それは根拠もなく、臆測の域を出るものではありません」(河西さん)

10月20日に89歳の誕生日を迎えられる美智子さま。そのご生涯のなかで、“誹謗の嵐”に直面するのは初めてではない。1度目は’59年のご成婚当初のことだった。

「初めての民間からの皇太子妃として大変な注目を集めましたが、旧皇族・旧華族などがこれに反発していて、日清製粉社長のご令嬢であられた美智子さまのことを“粉屋の娘”と陰口をたたいている、という噂が当時もありました。

この言葉は美智子さまご本人のお耳にも届いており、お心をひどく痛められていました。 『粉屋の娘という言葉を聞くたび、父はつらいだろうと胸が痛かったです』と、当時を振り返っておっしゃっていました」

そう本誌に証言していたのは、美智子さまの古い知人であるAさん。すでに鬼籍に入ったAさんだが、美智子さまが皇后でいらしたころに度々お目にかかり、そのご苦悩も伺っていた。

Aさんは“そのお苦しみを忘れてはいけない”という思いから、そうしたお言葉を覚書として残していたのだ。

美智子さまが誹謗をどのように受け止め、乗り越えてこられたのか。89歳のお誕生日を前に、本誌がAさんから取材していたお言葉を公開する――。

■30年前、批判が続き、ついにお倒れに……

2度目の“誹謗の嵐”は、’93年に日本を騒然とさせた一連の“美智子さまバッシング報道”だった。

「この年、《昭和天皇が愛した皇居自然林が丸坊主 美智子皇后のご希望で》(『週刊文春』)をはじめとした批判報道が相次ぎました。

上皇ご夫妻が夜更かしをし、深夜2時にインスタントラーメンを所望されるために、職員が疲弊しているといった内容の記事もありました。当時は平成になってまだ5年。昭和時代の体制を懐かしむいわゆる“守旧派”からの批判が美智子さまに集中したのです。

’93年10月20日、59歳のお誕生日当日に美智子さまが倒れられ、しばらく声を出すことができない事態に……」(宮内庁関係者)

一連のバッシングのきっかけとなったのは、『週刊文春』(’93年4月15日号)に掲載された《吹上新御所建設ではらした美智子皇后「積年の思い」》という特集記事。昭和天皇崩御後、吹上御所(当時)には香淳皇后がお住まいだったため、新しい御所が建設されたが、その経緯に対する批判だった。

「記事の内容は“新しい御所は以前のものとは比べものにならないくらい豪華である”“美智子さまが香淳皇后のにおいが残る御所に移りたがらず、そのために新御所が建設されることになった”といったものでした」(前出・宮内庁関係者)

Aさんは、その報道直後の美智子さまとの会話も記録していた。

「記事には“吹上御所は老朽化のため雨漏りしている”という間違ったコメントも記載されていました。その点について美智子さまは、『こともあろうに皇太后さまを雨漏りしているところにお住まわせしているのでしたら、私たちはどんなにお詫びしてもしきれません』と、おっしゃっていました。

香淳皇后には当時、認知症の症状がありました。美智子さまは『ご生活がお変わりになるということで、あのご年齢の方にどんなに大きな打撃を与えてしまうか』とお考えになり、新御所建設に賛成されたそうですが、その思いが曲解されていることに衝撃を受けていらしたのです。

また美智子さまと香淳皇后の確執も取りざたされていましたが、私には『私が見上げていたのは皇太后さまでした。そして本当にかわいがっていただきました』と、キッパリお話しになっていました」

この後から中傷ともいえる批判報道は激化し、Aさんは美智子さまのお悩みについても伺っていた。そのなかで特に印象に残っている美智子さまのお言葉があった。

「たとえ海の上が嵐になっていても、海の底は静かなもの。きっとこういう試練にも意味があるのでしょう」

だが心を静かに保とうとされ、試練に耐え続けた美智子さまにも限界が……。ついにお倒れになったのは、このお言葉を語られてから1カ月ほど後のことだった。

河西さんはこう語る。

「上皇上皇后となられ、ようやく“第二の人生”を歩み始めたご夫妻への誹謗が続けば、天皇皇后両陛下のご公務への意欲にも影響しかねません。いつバッシングの矛先が向くかと、お心も休まらないでしょう。

また、このような状況が続けば、“もうやっていられない”と、皇室の担い手がいなくなってしまう可能性もあります」

30年のときを経て、3度目の誹謗の嵐にさらされている美智子さま。一刻も早くこうした中傷がおさまり、お心が安らぐ日が訪れることを祈りたい。

© 株式会社光文社