【中原中也 詩の栞】No.55 「蜻蛉に寄す」(詩集『在りし日の歌』)

あんまり晴れてる 秋の空
赤い蜻蛉(とんぼ)が 飛んでゐる
淡(あは)い夕陽を 浴びながら
僕は野原に 立つてゐる

遠くに工場の 煙突が
夕陽にかすんで みえてゐる
大きな溜息 一つついて
僕は蹲(しやが)んで 石を拾ふ

その石くれの 冷たさが
漸(ようや)く手中(しゆちう)で ぬくもると
僕は放(ほか)して 今度は草を
夕陽を浴びてる 草を抜く

抜かれた草は 土の上で
ほのかほのかに 萎(な)えてゆく
遠くに工場の 煙突は
夕陽に霞(かす)んで みえてゐる

【ひとことコラム】透きとおるように晴れた秋空の下、地上にあるものは皆やわらかな夕陽に照らされています。その静かで美しい情景にどこか滅びの気配が漂うのも、秋の夕暮れ特有の感覚でしょう。少しだけ空に近い高さを漂う蜻蛉の姿に、詩人は永遠への憧れを託しているのかもしれません。

(中原中也記念館館長 中原 豊)

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